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2012年01月28日

殿、お戯れを



夜道で野良猫と遊んでから帰るのが最近のマイブームである。
この猫は二匹目の黒猫である。この猫は彼女の方から鳴きよってくるという逆ナン師である。
それにしても雌猫にもてる(笑)

動物と子ども(赤ん坊)が好きな人は優しい人だと、ある人に聞いたのだがどうなんだろう。

さて、来月は宮崎行を断念し、ワイハに行きます。あの「ワイハ。
北朝鮮やらレソトやらアルバニアには行くけど、ハワイは初めて。

航空券諸々込みで11万円台で行けるのを見て決めた。
上司には呆れられた。が、価値観の違いだからと気にも留めなかった。

とは言え、毎月の様に海外に行ってるのも事実。少し戯れすぎか。まるでこの野良猫のように。

posted by おかき at 19:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月22日

「卒業」 荒堀謙次

大卒1年目の選手が、自らの意志で違うクラブに出て行くという意味をどれだけ横浜FCというクラブは理解をしているのだろうか。「移籍はプロ選手につきもの」「離れたいなら仕方ない」確かにそういう声があることは認識しているが、雇う側としてみた時に戦力として計算している選手が他のクラブに出て行かれてしまうのはどこに原因があるのか考えていかなければならない。年俸、成績、チームの方向性、練習などの環境など様々な要因が選手のプレーするクラブの選択に関わってくる。



荒堀のこの移籍は象徴的だ。多分年俸を除けば殆どの個人的な要件ではダウンや悪い変更はないにも関わらず、1年前に納得して入ってきた選手が既に外に心が向いているのだ。横浜と比べて大きなJ1のクラブならいざしらず同じカテゴリの栃木に、自分をJリーグに誘ってくれた岸野監督の下を離れるということは、年俸のダウンだけではない、別の思いがあってここを出て行った事が推察される。

2011シーズン、荒堀は出場2試合目にしていきなりゴールを見せる。アウェイの湘南戦。右サイドでボールを受けてペナルティエリア内に侵入すると、相手DFが寄せるのも気にせず放ったシュートは強くネットを揺らした。開始1分で目の覚めるような代名詞代わりの一発だった。
このゴールをきっかけに荒堀は存在感を高め、武岡が怪我で今季絶望、寺田がシーズンの多くを負傷で欠くこともあり、出場機会にも恵まれた。また緊急時にはサイドバックもこなす事もあり、重宝された。

彼の武器は、ドリブル。湘南戦でもそうだが、ボールが動いていないところからでもテクニックとスピードで振り切れる選手。特にカウンターから持ち込んで突破する姿は、シーズンの成績に恵まれなかった横浜において、可能性を多く残す選手であったのは間違いない。野洲高校時代に、乾(現ボーフム)らと全国優勝した経験もあり、その頃から素質に恵まれていた。



夏の一部の時期を除いて、右サイドバックの柳沢の負傷だったり、武岡、寺田の長期離脱もあり、荒堀は多くの試合に出場をしている。また縦への突破が持ち味であることから試合の流れを変える役割も担った。2011年は湘南戦で初勝利し、湘南戦が最後の勝利だったが、荒堀はそのどちらの試合でも点を決める湘南キラーでもあった。今年の横浜は彼に始まり、彼で終わったと言っても過言ではなかった。チームの成績は厳しいものだったが、チーム中で精力的に戦い続けた荒堀を高く評価してもおかしくはなかった。
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posted by おかき at 17:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 横浜FC選手列伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月16日

「温い水」 柳沢将之

某掲示板で「温水」「ぬっくん」の愛称で呼ばれた選手がいた。それは2010シーズン、岸野監督と共に鳥栖から横浜に移籍してきた柳沢将之のことである。「温水」と呼ばれたのは俳優の温水洋一氏に似ているからだと言われている。それが本当かどうかはともかく、サイドバック然りといった姿は見ているものを一種ほっとさせてくれる選手でもあった。



加入当初から柳沢は、横浜の右サイドバックを務めた。サイドラインで岸野監督の指示をディフェンスラインに伝えるだけでなく、ラインコントロールも任せられるという厚遇だった。

当初から私の彼への評価は高くなかった。何よりもクイックネスが足りていなかった。それを粘りで押さえ込んでいたのだが、やはり一枚上手の相手が出てくると簡単に突破されることが多かった。それまで右サイドバックだった田中を押しのけてのスタメンだったが、田中も瞬発力勝負は苦手だが運動量があった。強い決め手がないまま柳沢が開幕戦からスタメンを張り続ける事に不安はあった。2010シーズン、横浜は序盤連敗を重ねてしまう。柳沢もミスを重ねた。だが、岸野監督は彼を起用し続けた。



夏場になり、ホベルトや阿部の加入もあり勢いを取り戻した横浜は昇格戦線に向けて、急激な上昇カーブを描いて殴りこみにかかった。そこに柳沢もいた。



その勢いに陰りが見えたのは9月。目下の昇格候補の福岡に敗れ、甲府にも引き分けで後がなくなった鳥栖戦。勝った方が生き残る、負ければ終わりというデスマッチに彼は先発したが、前半12分で故障して交代。試合も引き分けとなり、昇格は絶望的となり自身も消化不良のままシーズンを終えることになった。

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posted by おかき at 02:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 横浜FC選手列伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月11日

「満身創痍」 藤田祥史

いつかしら彼の膝にはテーピングというにはあまりにも大きなまるでコルセットの様な分厚い包帯が巻かれていた。そしてそれは最後まで解けることは無かった。



2010年後半の反省はカイオ頼みのサッカーになってしまいがちだったこと。その解消の為に鳥栖時代に岸野監督の下で、大活躍をした藤田祥が加入することになった。その目論見どおり彼は開幕戦で幸先良くゴールを決め、その存在感を示したかに見えた。



彼を前に置き、カイオを1.5列目あるいはボランチという起用を岸野監督は開幕戦でも試みている。ただこの起用は、カイオがボールを持ちすぎる事から前線の選手との連携が悪く、それで序盤頭を悩ませることになる。結局カイオの負傷もあり、この策は放棄することになった。とはいえ、藤田祥、カイオは共存させたい。東京ヴェルディ戦では、藤田祥をトップ下に置くという驚きの布陣まで試していた。



5月こそ藤田は前線で起用されていたが、途中交代などがあるとサイドのMFをこなすことになった。彼は実に器用だ。センターフォワードもし、サイドのMFもし、時にはトップ下までこなす。背丈が大きいが、彼の良さは左足からのボール捌きとキープできる力。そして豊富な運動量。サイドでためを作れるから、計算できるのだろう。



ただ、それだけ消耗も激しかった。特に2011シーズンはチーム内に怪我人が多すぎた。ベンチの控えも7人入れないアウェーの試合もあった。それでも岸野監督は、藤田祥の起用にこだわった。10月の数試合を除き殆どの試合で彼をスタメンで起用。ギリギリの状態で出続ける彼を見て思った。

2011年の藤田祥は横浜FCそのものだったと。

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posted by おかき at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 横浜FC選手列伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする