2007年12月31日

越年決定!

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やり残したのはブログに仕事に、と山の様に残っていますが
今年も自身が越年するのは何の因果か、ここ鎌倉。寒くなりそう。

年内に出せなかったゴミ袋が何個も自宅で越年してます(笑)
posted by おかき at 21:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

早いのか遅いのか カタタウ

12/2日産スタジアムアウェイの地を真っ赤に染めたサポーター
そこで信じられない光景を目の当たりにした事だろう。最下位を
独走し、既にJ2降格が決まっている横浜FCに圧倒的に押される浦和
その中心にあったのは右サイドを蹂躙したカタタウ。



4-5-1の右サイドに張ってスピードで突破を図る彼を、誰も止められ
なかった。浦和・ネネは常に後手を踏まされ、後半開始には交代させ
られる始末。横浜FCの出来が2007年で一番なら、カタタウも一番。
得点こそ左サイドに流れた三浦知からのものだったが、チャンス自体は
圧倒的に右サイドを経由していた。後半負傷の影響もあって交代
したが、その評価は高く来年の契約を要望する者もいたに違いない。



だが、カタタウのシーズン全体を通しての評価は高いものとは言え
なかった。残留の為に途中加入したにも関わらず、残留という結果は
おろか、得点すらアシストすら挙げる事もできなかった。

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posted by おかき at 11:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 横浜FC選手列伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月30日

虎心房だいにんぐ その2

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相模原駅前にある有名なラーメン屋。
この日は少しだけ時間があったので外食する事に。
で、前回ここに来た時とは趣向を変えて、期間限定ラーメンを注文

その名も「開運ラーメン 日の出」。この店の人気メニューである
虎心麺がベースで、白濁したスープに平打麺が良く絡んでいる。
上に乗っているのはソースが掛かったハンバーグ。そのソースがスープに
溶けて、とろみと酸味が絶妙に合わさり美味しかった。

ハンバーグの中に入っている人参の形で、オマケがもらえる。
posted by おかき at 22:40| Comment(0) | TrackBack(0) | グルメ風 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

帰る場所 西山貴永

10/7の川崎戦は勝負以外にも見所があった。それはOBと芸能人
余興ではなく、川崎からレンタルで横浜FCに来ている西山のプレーだ。
横浜FCの一員であっても川崎サポは西山の名前がコールされると
拍手で迎えた。アウェイのサポがホーム側の選手を拍手で迎える事は
非常に稀であるが、それだけ川崎のサポーターにも頑張って欲しい
という思いがあったのだろう。



そもそも西山の加入は不思議だった。このサイドにいるのはチームで
アシスト王の滝澤。そこにテコを入れる前にする事があるだろうと
思っていたが、玉乃が千葉戦でドリブルを仕掛けた様に、途中で
出てくる選手に求められたのは「突破」。それが横浜には必要だった。
その視点から選手を探した時に、川崎で出場機会がなかった西山が
ピックアップされたと思った。

その彼は、加入直後の練習試合でもわずかな出場時間だったが、
鋭い突破を見せて、リーグ戦での活躍が予想されたが、アジアカップに
よる中断期間を終えて再開したJ1では、西山は攻撃の最後の切り札と
して4試合に名を連ねたが、結果を残せず。

そうしている間に呼んでくれた高木監督は解任され、ジュリオレアル
新監督になってそのポジションを失った。その時の心境を彼は
自身のブログで「今の状況はふがいないというか、情けない」と
告白していたが、それでもチームはシーズンを戦わなくてはなら
ない。試合は待ってくれないのである。



練習試合でミスをして得点を決められない日もあったが、ジュリオ
レアル監督にアピールを続けて掴んだ出場は磐田戦。そして、
その次の古巣・川崎戦では後半からピッチに登場。本職の左サイドでは
なかったが右サイドで果敢に勝負を挑み、切れ込んで放ったシュートは
川崎・川島にセーブされたが、埋もれていない事を証明した。

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posted by おかき at 10:27| Comment(2) | TrackBack(1) | 横浜FC選手列伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

御給よ、ゴールを決め給え

菅野移籍表明の一件から一晩明けました。その前に、新規加入選手が
発表されている事を忘れてはいけません。

2008シーズンの新戦力として佐川急便SC(JFL)所属、FW御給匠選手
(24)の完全移籍加入が決定いたしましたのでお知らせいたします。

御給匠(ごきゅう しょう/FW)
■生年月日:1983年6月11日(24歳)
■身長/体重:187cm/78kg
■出身地:三重県
■チーム歴:津工業高等学校-セレッソ大阪-ザスパ草津-
佐川急便大阪SC-佐川急便SC
■タイトル等:
2006年JFLベストイレブン/2007年JFLベストイレブン、得点王、MVP

■御給匠選手コメント
「今回は、横浜FCに誘っていただきとても光栄に思っています。また、
新たなチームで横浜FCのチームの方々と一緒に成長していけるよう
精一杯頑張りますので応援よろしくお願いします。」

長身選手だとポストが持ち味という場合が多いが、彼はそうではない
様で、どちらかというと着実にチャンスを決めるストライカー的な
イメージがある。横浜戦ではゴールは決めていないが。

セレッソからザスパに移籍して、その後はJFLの佐川に移籍。落ちて
いったとも言えるが、昨年JFLでベストイレブンに輝き、今年は
それに加えて得点王とMVPにも輝いた。昨年JFLの得点王だった
大久保(哲哉 元横浜FC)が柏では良いものを出せなかった事から、
来年の御給に大きな期待を寄せる事を難しい声もあるが、大久保は
大久保、御給は御給。

今年行われた天皇杯でもFマリノス相手にゴールを決め、早野監督にも
「相手の9番の選手(御給)が、スカウティングの情報以上に
身体能力が高かった」とまで言わせしめた。

多くの選手が入れ替わる横浜FCにおいて新しいエースとなる様な
活躍を祈っている。その為には沢山のゴールを決め給へ。

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posted by おかき at 05:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 横浜FC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月29日

しるし 菅野孝憲

12/28夜雨降る中、急に口笛が吹きたくなって、たった一人で傘も
差さずに仕事場を出て口笛を吹いた。何気なく口をついて出てきた曲は
ミスターチルドレン「しるし」。でも愛の歌であるこの曲が出てきた
のは、どうしてだろう。それはきっと自分の中で、その対象が
菅野だって事に気が付いたから。その愛の強さを奏でれば奏でる程、
どうしてだろうか菅野との別れを確信していった。



「どんな言葉を選んでもどこか嘘っぽい
左脳に書いた手紙ぐしゃぐしゃに丸めて捨てる」


どんな言葉を言えば伝わるのだろう。この思い。街の片隅で口笛を
吹く事しか出来ない自分は悲しい旋律を奏で続けるしかなかった。

「心の声は君に届くのかな? 沈黙の歌に乗って...」

彼自身の言葉で語られた横浜FCにおける最初で最後のブログ。
城の時とは違う、先にある大きな未来を描いて真っ直ぐ立つ若者の
素直な言葉が胸に突き刺さる。

菅野は最初から横浜サポーターの噂になった。当時横浜FCには水原、
吉田といったベテランがおり、それに次ぐ第3GKだろうというのが
東京Vユース出身のGK菅野への評価になるはずだった。しかし、
練習に行った者が皆口を揃えて「菅野は違う。」と早い段階での
スタメンを予想した。宝箱の素晴らしい中身を垣間見た様な、誰にも
話せない自分だけのワクワク感があった。菅野は当時を振り返って
「城さんのシュートは触ることもできなかった」と謙遜しているが、
城は「菅野には大きな才能がある」と18歳のルーキーを評価した。



そして入団からたった3ヶ月で大敗を繰り返すチーム事情からチャンス
を掴むとスタメンに定着。当初はその上背のなさから「空中戦に弱い」
といった声も聞かれたが、それを払拭する活躍を見せた。何よりも鋭い
瞬発力でシュートを止め、正確なキックは攻撃の起点にもなった。



年々その活躍の光は輝きを増し、「菅野劇場」なる言葉も生まれた。
ブーイングにも屈しないどころか、相手チームのゴール裏を煽る
ふてぶてしい態度、警告スレスレの時間稼ぎは相手に精神的な
ダメージを与えた。

その才能が正当に評価されたのは2006年。770分の無失点記録を樹立し
J2優勝に貢献。特に放たれたシュートの一つ一つの場面を覚えており、
その時に何をしたのか、何をすべきだったのか、何が出来たのか、
フィールドでのキャラクタとは対照的に、自分を冷静に分析している
姿に、プレー面だけではない成長を感じ取れた。

そして2007年。チームは序盤から最下位に沈み、Jリーグ最速記録で
J2降格が決定。大量失点を繰り返し連敗を重ねるチームにあって、
菅野は一人その実力を見せ続けシーズン終了後には新人王を獲得。
最下位のチームの選手が新人王を獲得するのは異例の事だった。



そんな選手を他のクラブが放っておくはずが無く、J1昇格戦線で
覇を競った柏から正式なオファーが届き、菅野は移籍を決断をした。
プロサッカー選手として成長の為に、「わがまま」を貫いたのだ。

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posted by おかき at 10:15| Comment(2) | TrackBack(0) | 横浜FC選手列伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月28日

前向きに マルコス・パウロ

中盤の鋭いボール奪取と運動量で観客から歓声が沸いたのは、
J1最下位に沈んだ横浜FCにあって、彼のプレーだけだった。



元セレソンという肩書きを引っさげて来日したのは、夏のにかほ合宿から。最下位に低迷する横浜FCの残留への使者として期待は大きかった。
日本に来ての緒戦、横浜ダービー・Fマリノス戦こそ役割分担が
明確でなく大敗を喫してしまったが、1週間後のガンバ大阪戦では
4-1-4-1の布陣を敷き彼を1ボランチに据えた事で、まさに「水を
得た魚」の如くその実力を遺憾なく発揮した。

高い技術だけではなく運動量や強さを併せ持ち、中盤で何度も
相手攻撃陣の芽を摘んでいた。失点しなければ少なくとも勝ち点1は
自動的に積みあがる。リーグ後半戦が始まって得た唯一の希望だった。



ところが、それを壊したのは選手個々の小さなミス。パウロとは
関係ないところで直接失点に繋がるミスを犯して得点を献上し、
自分で自分の首を絞めてしまった。

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posted by おかき at 10:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 横浜FC選手列伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

荒ぶる男 オ・ボムソク

加入して1週間も経たずにスタメンで出場しなければならない状況を
彼はどう捉えていたのだろう。横浜FCの一員として日産スタジアム
降り立った彼はきっと後悔の念すら抱いていたに違いない。

何がなんだかわからないうちに点を決められ1-8という屈辱的大敗。
それだけではない。来日1週間では日本語もままならず、仲間に
どんな言葉をかける事もできない。通訳はいたかも知れないが、
ピッチで声をかけられなければ、来日1週間の選手と周りの選手の
呼吸を合わせる事もままならない。
しかし、そんな選手がスタメンで出場しなければならない程、
横浜FCの台所事情は苦しかった。



その横浜ダービーに敗れ、続く甲府戦でも敗れ迎えたガンバ大阪戦。
サッカーをするのは言葉ではない。自分の足でするものだというのを
彼がサポーターに教えたのはこの試合だった。
横浜FCは早川が後半にこの日2枚目のイエローカードで退場し、
その数分後に先制を許してしまった。誰もが大差での敗戦を覚悟する
中、ボムソクだけは違った。

彼が中央の位置に入り中盤を豊富な運動量でガンバ大阪の攻撃を
遮断し続け、それはボランチと一言では片付けられない働きだった。
前線から積極的にチェイスしたと思えば、自陣深くにまで戻り壁と
なって相手に立ちはだかった。攻撃になれば積極的に前を向いて、
相手に囲まれても仕掛けた。

横浜FCは和田のゴールで追いついただけでなく、逆に10人になっても
ボムソクに引っ張られる様にガンバゴールを目指した。降格した
横浜FCの2007シーズンでも評価が高いといわれるこの試合の中心には
間違いなく彼がいた。アジアカップで10人の韓国代表が、11人の
日本代表にPK戦の末に勝利した映像の再現を見ているかの様だった。



当時首位だったガンバに10人で戦えた。息を吹き返したかに思えた
横浜FCだったが、その後鹿島戦に敗れた事で高木監督が解任される。

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posted by おかき at 01:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 横浜FC選手列伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月27日

師走

師走です。

何かと忙しいです。

横浜FCについて更新したい更新したいことが
山ほどありますが、それをする暇もありません。

一年の総括も終わらぬまま選手がどんどん退団していきます。

そればかりか韓国旅行の最終日すら書いてないんだなこれが(笑)
いやポルトガ(ry

そこら辺は週末に片付け様と思います。東京大賞典に行こうか迷いますが。

職場から見ている方が多い様ですが、自宅からも見て下さいね。
posted by おかき at 10:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

閉ざされた未来 吉岡聡

2006年の出場記録 天皇杯 対バンディオン神戸戦5分

これが吉岡聡が横浜FCで残したプロサッカー選手としての足跡だ。

高校選手権出場もなく、全国的には全く無名の選手ながら国体代表等に
選ばれ、また高校3年生になる前からチームの主力として高崎経済大
付高を引っ張ってきた実力の持ち主で、秘密兵器に近い存在だった。



ところがそんな彼を待ち受けていたのはプロという過酷な現実だった。
彼が主戦場とする左サイドには、その当時からルイス、北村、吉武らが
名を連ね、出場どころかベンチ入りも叶わぬ毎日。
それに同年代でも坂井がおり、同じポジションには後のU-20代表に
名を連ねる太田もおり、彼の出る幕は無いに等しかった。

彼はそれでも、自身に与えられたほんの僅かなチャンスでもがく。
浦和レッズとの教育リーグでは得点を決めたし、面白いテンポで味方を
引き出すプレーも見せた。右サイドも出来る器用な部分も見せた。
だが、彼にそれ以上何かを求めるのは酷な話だった。



チームは好調なまま終盤になっても昇格争いに残り、高卒新人には
殆どチャンスはなかったばかりか、DFでは太田がU-19代表に選出され
始めるなどその差は開いていく一方だった。

だが、主力を「ケガで出られない」とした高木監督の意向で、
出場する事になった天皇杯。横浜FCでの初の公式戦であるだけでなく、
彼に求められたのは同点にするというミッション。後半40分からの
出場で結果を求められた。厳しく高いハードルだが、逆にここで
結果を残せば評価は一気に高まる。そんな彼の思いとは裏腹に、
ボールが彼の足元に回る事は殆どなく、終始ボールを追う事ばかりに
時間は費やされ、その左足から魔法が放たれる事はなかった。

横浜FCは2006年J1昇格を果たしたが、彼はきっと複雑な心境だったに
違いない。

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posted by おかき at 02:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 横浜FC選手列伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月26日

八田康介とはどんなヤツだ?

2008シーズンの新戦力としてFC東京(J1)所属、DF八田康介選手(24)の
完全移籍加入が決定いたしましたのでお知らせいたします。

八田康介(やつだ こうすけ/DF)
■生年月日:1982年3月17日(24歳)
■身長/体重:184cm/81kg
■出身地:福岡県柳川市
■チーム歴:鳥栖フューチャーズジュニアユース-柳川高等学校-サンフレッチェ広島-サガン鳥栖-サンフレッチェ広島-FC東京

■八田選手コメント:
「自分の武器である高さと強さを十分に発揮し、チームに貢献して
いきたいと思います。1年でJ1に戻ることが出来るよう、チームの
ために頑張ります。応援よろしくお願いします」

実は今シーズンの補強ポイントで欲しいなと個人的に思っていたのは
八田だったりする。若くて高さのあるCBの印象が残っていたから。
2005年の春に鳥栖に行った時に鳥栖の堅守で印象に残っていた。
久保田の号泣なんてのもあったけど。FC東京に移籍する事を聞いて、
残念だなぁと思っていた位。

そのFC東京では膝にケガをしてしまった関係で、殆ど出場機会がない
まま1年を過ごしてしまったが、12月にはリーグ戦に出場も果たし
その復活の狼煙は上がったと考えていいだろう。

横浜でその高さ、強さを存分に見せて欲しい。

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posted by おかき at 01:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 横浜FC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月25日

光麺

20071224.jpg
表参道にあるラーメン屋さん。寒いとラーメンが食べたくなる。

トッピング全部乗せ」が分かりやすい。で、それを注文
チャーシューと角煮の両方入っているのが嬉しい。

肝心のラーメンは熟成光麺という名のトンコツ。まろやかな味でなかなかイケる。
posted by おかき at 21:08| Comment(0) | TrackBack(0) | グルメ風 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クリスマス・イヴに何させんじゃ!

横浜FC関係なら誰でも知っている2008年1月27日の城の引退試合。
その先行予約が12/24の18時より開始されたのだが、電話が全く
繋がらない。まぁ彼の人気を考えれば致し方ないところだが。。。

結局20時頃、諦めて「翌日位にかけたら取れる」なと思いつつ、この日
最後と思ってかけたらチケットを取れたんだが、今回の販売方法には
かなり疑問が残る。

まずチケット一人15枚までというのは聞いた事もない様な量。
過去にそういう例はあるのかも知れないが、どんな公演やイベントでも
「15枚」は異例。しかも、そのキャパが15000程度と考えると、
極端な話1000人が15枚ずつ買うとその場で終了してしまう。
これは前々から言われていたが、ダフ屋のいい餌食。

そもそも12/24の先行予約と、1/12の一般発売の差は何だろう。
クラブメンバーの先行予約も割引もない、いや一般とも価格に差が
ない状況で、この違いに意味があるのか。よく理解できなかった。

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posted by おかき at 10:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 横浜FC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月24日

3度目の正直へ 鄭容臺

私は昨年9月の柏戦で彼が決めたゴールを、その背番号「13」にかけて
裏切りだと言った。第39節前半39分の「13」番のゴールは、今でも
はっきりと覚えている。誰もが下位に低迷するだろうという横浜FCの
予想を大きく裏切って、J1昇格が見えてきた、そんなゴールだった。

元々2006年の横浜FCの入団当初は「足達監督からは一番後ろをやって
欲しいといわれている」と私に語った様に、彼は開幕前からCBの
ポジションを取る事が多かったが、実際のシーズンはもっと多くの
働きを求められていた。シーズン序盤は早川が信頼を得るまで、
トゥイードがケガで欠場すれば、それらの穴は全て彼が埋めた。
もちろん本職のボランチでも強固なディフェンスの一翼を任せられ、
それに順応していくのは苦労を強いられたに違いない。



だが「ファイター」とも称される強い闘争心は、それを苦労とすら
思っていなかったに違いない。それまで所属してきた各球団で
出場機会に恵まれなかった為に、横浜FCに移籍した経緯もあり、
彼は出場できるなら「どこでもよかった」そう感じていた。



チームの骨格や戦術がはっきりしてきたリーグ中盤戦、横浜FCがCBに
小村を補強した事で、鄭は本職のボランチに専念できた。2006年は
城やアレモンらの活躍が取り上げられる事が多いが、彼が出場停止等を
除けばほぼケガなくほぼ全ての試合に出場し、出場時間もベスト4と
長く安定してプレーした事はチームには大きかった。

彼自身にとってJリーグ初ゴールを決めれば、シーズン最終戦を
待たずしてJ1昇格を果たした。横浜の守備陣にとって欠かせない選手に
なった。

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posted by おかき at 08:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 横浜FC選手列伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月22日

人物像は難しい

最近横浜FCを退団した選手の思い出を書いてます。その多くは事実で、
選手本人やその他見た事聞いた事を元に書いています。

でも、人の素顔を書くのは本当に難しいこと。

最近長崎の銃乱射事件でも、ある新聞では「分かれる人物像」として
犯人の人物像を図りかねている一面があります。
個人的には、人物像なんてのは人それぞれで、一致する方が怖い。
人は皆それぞれ違う人なのに、立場や関係の深さを超えても
人物像が一致するのは、偶然どころではないだろう。

だから、ここに出てくる選手達と実際に接した印象が文章と
違っていても、ご勘弁を。

今日はとうとうヨンデまで。。。
posted by おかき at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月21日

翻弄されるなら 金澤大将

2006年シーズン、J1昇格を果たした選手達からは意外にも、足達監督に
感謝する言葉が漏れた。「足達さんが礎を築いた」「足達監督が
いたから、リーグ戦を戦える基礎があった」
2006年シーズン、2年目に入るシーズン前に足達監督は自らが足を
運んで、自分の目で確認して選手を獲得してきている。
彼曰く「自分も今年は選手獲得で意見を出させてもらった」とその
選手のレベルの高さに自身を持っていた。



だが、その言葉とは裏腹に2006年の開幕前の横浜FCは大学生以下にしか
勝利できない程に、チームがまとまらず当時JFLのロッソ熊本にも
ロスタイムにゴールを決められて敗戦を喫している。

ロッソ戦→http://okaki.seesaa.net/article/13213823.html

金澤は大卒・高卒選手の中でも足達監督に重用され、ロッソ戦でも
その中で唯一スタメン出場を果たしていた。ユニバ代表という肩書きを
ひっさげて横浜FCに入団した彼には大きな期待が寄せられていた。



だが、突然その前途洋洋な未来を壊したもの。それはJ2開幕戦の
愛媛戦での敗戦。この直後、足達監督は解任され高木琢也コーチ
監督に昇格した事で、彼は突如として出場機会を失う。

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posted by おかき at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 横浜FC選手列伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

都並監督の組閣人事はじまる

2008シーズンの新戦力として名古屋グランパスエイト(J1)所属MF
須藤右介選手(21)の期限付き籍加入が決定いたしましたのでお知らせ
いたします。

須藤右介(すどう ゆうすけ/MF)
■生年月日:1986年5月7日(21歳)
■身長/体重:183cm/78kg
■出身地:東京都
■チーム歴:ヴェルディジュニアユース-ヴェルディユース-
名古屋グランパスエイト


2007年4月の三ツ沢での須藤

2008シーズンの新戦力としてベガルタ仙台(J2)所属、DF中田洋介選手
(26)の完全移籍加入が決定いたしましたのでお知らせいたします。

中田洋介(なかた ようすけ/DF)
■生年月日:1981年9月15日(26歳)
■身長/体重:173cm/64kg
■出身地:岩手県
■チーム歴:大船渡高等学校-駒沢大学-ベガルタ仙台


昨年の国立での試合での中田洋

2008シーズンのフィジカルコーチとして、前ベガルタ仙台(J2)フィジ
カルコーチ谷真一郎氏(39)の就任が決定いたしましたので、
お知らせいたします。

谷真一郎(たに しんいちろう)
■生年月日:1968年11月13日(39歳)
■出身地:愛知県
■選手歴:西春高等学校-筑波大学-日立製作所/柏レイソル
■指導歴:1996 柏レイソルユースコーチ
    1999〜2001柏レイソルフィジカルコーチ
2002〜2007 ベガルタ仙台フィジカルコーチ
ライセンス:日本サッカー協会公認A級ライセンス

2選手1コーチの新入団が発表された。中田洋選手と谷コーチはベガルタ
仙台で、須藤はヴェルディユースの頃に都並監督と一緒のチームに
なっており、相思相愛とまではいかないかも知れないがお互いの
特徴を把握している点は、監督の戦術理解度にいい影響をもたらす筈。

中田洋は右SB、須藤はボランチでの起用が濃厚だろう。中田洋は
ともかく、チームの若返りが求められている横浜FCにとって21歳の
ボランチの加入は、大きな刺激になる事だろう。

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posted by おかき at 00:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 横浜FC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月19日

運命の手綱を放して 2007年横浜FC その3

5月の横浜FCは今年一番勝ち星を挙げられたシーズンであった。
J1では広島大分戦に勝利し、ナビスコカップでもFC東京に勝利。
リーグ戦4勝の半分をこの月に上げている。それも相手に恵まれた
感もあった。広島は結果的に降格、大分も14位でシーズンを終えた。
下位の相手だった事も幸いしたが、4-1-4-1に拘った高木監督が、
久保や山口をケガ等で彼らを起用しなかった事がいい方向に働いた。



その中心だったのは三浦知。シーズン序盤はサイドで起用されていたが
久保の欠場でFWが足りなくなった事等からFWに戻った。そして、広島戦
から登録された平本の存在も大きかった。一人でDFを振り切って
ドリブル出来る縦への突破が少なかった横浜FCで彼の様な、いい意味で
自分勝手な選手の加入は前への推進力を生み出した。



ナビスコカップの予選リーグ敗退が決まり、リーグ戦に集中できる
状態で迎えた大分戦は2-1の勝利。大分の調子が悪かったが、点差以上
に完勝していた。その勢いをそのままにガンバ大阪との試合に臨む

筈だった。

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posted by おかき at 03:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 横浜FC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月18日

2007年JAPAN XBOWL 富士通-松下電工 「Who's Bad?」

富士通のチアリーダー達は、第3Qと第4Qの間のクォータータイムに
マイケル・ジャクソンの「BAD」を流した。自戒の念を込めたのか、
あるいは「ワルはワルでもやる時はやるぜ」的な「BAD」なのか、
はたまた大きく開いてしまった点差を見て「BAD」だったのか。

試合は、第1Qから大きく動いた。富士通は、日本代表選手を擁する
松下守備陣を警戒してスペシャルプレーを連発。QBでなくRBが
センターかたボールを直接受けるダイレクトスナップや左右対称でなく
片方にラインの選手まで寄せるアンバランス体型からのショットガン。
これらが機能して富士通は先制のチャンスを迎え、FGのチャンス。
ところがこれをKの小山が外して富士通は先制点を取れなかった。



するとここからは松下の時間。富士通が松下に立て続けに前進され、
最後はWR#22下川へのTDパスが成功し、松下が先制。その直後の
キックオフを日本代表でもある富士通#80米山がファンブルし、
ターンオーバー。そのボールを松下攻撃陣はRB#20がサイドを駆け抜け
さらにTDを追加。第1Q残り12秒にはFGを決めて17-0と一方的に
富士通をリードする。





富士通はその17-0となった直後のキックオフを#80米山が90ヤードを
走りきりTDを決めるがそのTFPを外し、流れを手繰り寄せられない。

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顔だけなら最年長新人王

sugeno.jpg

降格したが、J1リーグ戦34試合全てに先発・フル出場は伊達じゃない。

その菅野には移籍の噂もある。
今更年俸を吊り上げても遅いのさ。

今年の年俸が1000万、来年提示が2500万。
噂のあった柏と東京Vは幾らを提示しているのでしょうか。
その額との合計を3で割った数に、移籍係数の8をかけて出てきた
額が移籍金になる。

3000万なら6500÷3×8=約1億7000万
4000万なら7500÷3×8=2億

ただ、柏も東京Vも南、高木という守護神は健在であるし、柏は水谷も
いる。出場機会は簡単にないかも知れないが、挑戦したいという彼の
気持ちもある筈だ。

サポーターの立場であれば、チームの為に残って欲しいという思いと
彼のサッカー人生を考えるとJ1でやらせてやってもと両方の思いが
あるだろう。

やはり言うなれば、このクラブの守護神をこれまで正当に評価して
こなかったフロントの甘い考えのツケがここで回ってきたと思う。
機能しない元代表選手を集める事に奔走し、挙句降格させてしまった。
その一方で、最下位チームのGKながら実力で新人王を獲得した若手。
どちらが「チームにとって」大切なのか、フロントは冬休みの間に
考えて欲しいと思う。

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posted by おかき at 01:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 横浜FC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月15日

泣いて馬謖を切れず 2007年横浜FC その2

私は監督ではないが、横浜FCが2007年シーズンを戦う上で一番重要
だったのは開幕からの3戦。2006年J1王者浦和、同じ横浜の横浜F
マリノス、06年も上位で争い横浜FCが昔から辛酸を舐め続けさせらて
いる川崎。この3戦をどう戦えるかが、2007年シーズンを占うと
思っていた。

だが、開幕戦で見せた久保の一撃は、サポーターの危機感を鈍らせ
勝手に「横浜FCはやれる」と思い込んでしまった。実際は久保が凄いの
であって、チームとしてみたら攻守両方の課題を露呈した。



そして迎えた横浜ダービーでは、ライバルを完封して勝利。そして、
「やれる」と勘違いしたのはサポーターだけではなくクラブもで、
この日勝利すると、翌月に日産スタジアムで行われる鹿島戦に7万人の
動員を目標にすると発表。J1でたった1勝を挙げた事に浮かれて、
体力も環境もないまま大風呂敷を広げた。

サポーターもフロントも余裕綽綽のまま迎えた川崎戦は、そんな甘い
幻想を打ち砕くには十分な内容と結果だった。川崎とJ2で戦っていた
頃と同じ様に運動量で圧倒され、大量失点を喫する。攻撃は久保が
前線にいるだけでボールを受けられない、守備は速い川崎の攻撃に
翻弄されるだけの90分。一人川崎に退場者が出てからも失点する内容。



ただ、これはある程度予想できていた事だった。浦和戦もマリノス戦も
決して崩した形で得点した訳ではなかったから。久保のシュート
早川のシュートも、前者は偶発的な事故、後者はロングボールに
飛び込んだもの。だが、勝利を前に問題点から目を逸らしていた。

ナビスコカップのアウェー磐田戦は1-0で勝利したが、このゴールも
アドリアーノの左サイドから放った神がかり的なゴール。完封した
事で守備の内容はまずまずだったが、攻撃の課題は残っていた。

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posted by おかき at 16:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 横浜FC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月14日

戦い続けた不死鳥は安らぐ場所へ

この度横浜FC所属、山口素弘選手が今シーズンをもちまして日本
サッカーリーグ時代から続けて参りました17年間のプロサッカー選手と
しての現役を引退することとなりましたのでお知らせいたします。

山口素弘(やまぐち もとひろ)
■生年月日:1969年1月29日(38歳)
■ポジション:MF
■身長/体重:177cm/72kg
■出身地:群馬県
■チーム歴:前橋育英高等学校-東海大学-全日空/横浜フリューゲルス-名古屋グランパスエイト-アルビレックス新潟-横浜FC
■代表歴:国際Aマッチ59試合出場4得点



解雇の記事は→http://okaki.seesaa.net/article/69140225.html

これでよかったんじゃないかと思う。本人の思いは抜きにして。

横浜でないチームに行くなとは思わないし、やりたければやればいい。
ただ、このチームが生まれるきっかけになったチームに大卒で所属し、
そしてその横浜F最後の試合にも出場し、このチームで自身の最後の
試合が出来た事は重いというか、不思議な感じがする。
宿命とか運命という言葉では重過ぎるが、偶然ほど軽くない。

それは彼のプレースタイルにも似ていて、相手のボールをスルスルと
掠め取っていくのは、偶然では出来ないがそれが宿命でもない。
どちらに転がるかわからない筈のボールがいつも彼の足元にある。
彼の引退を見ているとそういう不思議な感覚になる。

横浜FCは今後下部組織等のコーチの打診はしている筈である。
彼の背中にもう6番はないが、きっと真っ青な不死鳥が刻まれている。
そして、その遺伝子をまた新しい世代に伝えていって欲しい。
posted by おかき at 11:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 横浜FC選手列伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月13日

期待感よりも喪失感 2007年横浜FC その1

今年のシーズンが始まる前、つまり1月2月のシーズンから今だから
言うが、非常に危機感を感じていた。昇格したのに、心は何も晴れ
なかった。いや、昇格自体が嬉しくないはずがないが、私が小心者で
ある事を加味しても、不安感で一杯だった。

まず戦力の低下が酷い。2006シーズン活躍した城は引退、アレモンは
年俸が高騰し契約延長せず、ルイスはブラジル監督の下でプレーしたい
という噂もあったが大分へ移籍。攻撃陣の3本柱を一気に欠いた。
これでどうゲームを作るのか全く頭の中に描けなかった。

これに降って湧いたのが元日本代表・久保の加入である。同じ横浜
Fマリノスで出場機会を失って彼は移籍を志願し、広島時代「自分を
超えるストライカー」として彼の実力を認めていた高木監督が直ぐに
スカウトに動いた。その行為に感激して気持ちが動いたのか年俸が
下がる事も厭わず横浜FCへの移籍が決まった。

特に城の代わりのFWとして期待感があったし、日本人離れしたと言わ
れる身体能力の高さは魅力があった。ただ私はエントリにしていないが
彼に大きな信頼感を置けなかった。それは、彼の腰痛である。
06年W杯で久保は最終選考で落選し、それは世の中では大きな話題
なったが、ケガを持つ選手を信頼して待つよりも短期決戦ならば調子の
良い者を使うというのをシルビオの一件で経験している私にとって、
あの選択は当然としか感じなかった。

シルビオの件→http://okaki.seesaa.net/article/18630626.html

何より慢性的に「たら・れば」を抱える選手は計算できない。
それなりに試合には出場できるが1シーズン通しては無理。もう一人か
二人は軸になるべき選手が必要だと感じていた。

だが、横浜FCのフロントは久保を獲得できた事で、その意欲を減退させ
てしまったのかFW獲得を止めて、結局藪田で打ち止め。開幕の段階で
FWが登録上で5人というのは余りにも少なく、しかもシウバや薮田は
結果的にMFとしての起用となる事が多く、実質2人か3人でFWを
やりくりせざるを得ない状況に高木監督は追い込まれた。

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posted by おかき at 01:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 横浜FC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月10日

EL ARTISTA 玉乃淳

2006年11月23日三ツ沢。この日の試合で、横浜FCサポーターは今後
忘れる事ができない情景を見たに違いない。城の引退。横浜FCに来て
チームの不振と戦った男が昇格を手土産に引退をし、また緩んだ終盤で
敢えてそれを口にする事でチームもサポーターも一つになった。

ところがその徳島戦のヒーローは彼ではなかった。三ツ沢で初めて
見た鳴門の王子様・玉乃淳だった。2006年シーズンJ2で戦う事になった
東京Vからレンタルで徳島に移籍。元々足元の技術に定評のあった
彼はチームが低迷する中で大きな輝きを放った。48試合のうち34試合に
出場し2得点を上げ、そのうち1点は鳴門で柏を倒した時の貴重な
ゴールだった。



そして横浜FCの昇格ロード真っ只中に立ちはだかったのが彼だ。
11月の徳島戦は誰もが城のゴールで、少なくとも勝利してホームで
昇格を決めたい。そう考えていた。だが、玉乃はそういった空気を
読まずに、プロフェッショナルに徹した。脆弱なる攻撃陣の後ろで
左右に豊富な運動量で顔を出して、横浜のサイド攻撃を遮断。
ボールを奪えば正確なパスで前線にボールを供給。
低迷する徳島の中で一人気を吐き、チームに喝を入れると同時に
「三ツ沢で城が決めて昇格」等という淡い幻想から、勝負の厳しい
現実の世界に横浜のサポーターは引き戻されたものだ。



その玉乃が昨年の12月中旬に横浜FCに加入すると伝えられ誰しもが
あの徳島戦での彼のプレーの再現を期待したのだった。
ところが、その期待は高木監督の戦術の前に打ち砕かれる。

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FIFAクラブワールドカップ2007 エトワール・サヘル-パチューカ 「星に願いを」

今年世界クラブワールドカップにアフリカ代表として出場を果たした
のは、過去2大会出場のアル・アハリではなく、そのアル・アハリを
CAFチャンピオンズリーグで下したエトワール・サヘル。

今年のアフリカ代表は昨年とは傾向が違う。昨年のアル・アハリは
アブトレイカという確固たる司令塔がいた。FKも蹴る、自分で積極的に
ゴールを狙う、守備もするという近代的な司令塔がいないチームは、
昨年と全く違ったカウンター主体のチームだった。36%というサヘルの
ボール支配率は単純に押し込まれていただけではなく、前半の
一部の時間帯を除いて低く構えた結果だろう。



ゲームはパチューカペースで進んだ。スペイン語で山ねずみを表す
「TUZOS」を愛称に持つパチューカは、元メキシコ代表カバジェロ、
左サイド・アルバレスが鋭く切れ込むだけでなく、チーム全体が高い
技術と連動性を持って、サヘル陣内を切り崩しにかかる。
それをファウルで止めるしかないサヘル。



いただけないのは、パチューカの攻撃。サイドもえぐるし積極的に
シュートも放つが決定力がなかった。CKからチャンスはあったが、
サヘルGK#1マトルティがスーパーセーブで掻き出してゴールできず。
ほぼ一方的にパチューカが攻めて前半終了。

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posted by おかき at 09:01| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー観戦記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする