12/28夜雨降る中、急に口笛が吹きたくなって、たった一人で傘も
差さずに仕事場を出て口笛を吹いた。何気なく口をついて出てきた曲は
ミスターチルドレン「しるし」。でも愛の歌であるこの曲が出てきた
のは、どうしてだろう。それはきっと自分の中で、その対象が
菅野だって事に気が付いたから。その愛の強さを奏でれば奏でる程、
どうしてだろうか菅野との別れを確信していった。
「どんな言葉を選んでもどこか嘘っぽい
左脳に書いた手紙ぐしゃぐしゃに丸めて捨てる」どんな言葉を言えば伝わるのだろう。この思い。街の片隅で口笛を
吹く事しか出来ない自分は悲しい旋律を奏で続けるしかなかった。
「心の声は君に届くのかな? 沈黙の歌に乗って...」彼自身の言葉で語られた横浜FCにおける最初で最後のブログ。
城の時とは違う、先にある大きな未来を描いて真っ直ぐ立つ若者の
素直な言葉が胸に突き刺さる。
菅野は最初から
横浜サポーターの噂になった。当時横浜FCには水原、
吉田といったベテランがおり、それに次ぐ第3GKだろうというのが
東京Vユース出身のGK菅野への評価になるはずだった。しかし、
練習に行った者が皆口を揃えて「菅野は違う。」と早い段階での
スタメンを予想した。宝箱の素晴らしい中身を垣間見た様な、誰にも
話せない自分だけのワクワク感があった。菅野は当時を振り返って
「城さんのシュートは触ることもできなかった」と謙遜しているが、
城は「菅野には大きな才能がある」と18歳のルーキーを評価した。

そして入団からたった3ヶ月で大敗を繰り返すチーム事情から
チャンスを掴むとスタメンに定着。当初はその上背のなさから「空中戦に弱い」
といった声も聞かれたが、それを払拭する活躍を見せた。何よりも鋭い
瞬発力でシュートを止め、正確なキックは攻撃の起点にもなった。

年々その活躍の光は輝きを増し、「菅野劇場」なる言葉も生まれた。
ブーイングにも屈しないどころか、相手チームのゴール裏を煽る
ふてぶてしい態度、警告スレスレの時間稼ぎは相手に精神的な
ダメージを与えた。
その才能が正当に評価されたのは
2006年。770分の無失点記録を樹立し
J2優勝に貢献。特に放たれたシュートの一つ一つの場面を覚えており、
その時に何をしたのか、何をすべきだったのか、何が出来たのか、
フィールドでのキャラクタとは対照的に、自分を冷静に分析している
姿に、プレー面だけではない成長を感じ取れた。
そして2007年。チームは序盤から最下位に沈み、Jリーグ最速記録で
J2降格が決定。大量失点を繰り返し連敗を重ねるチームにあって、
菅野は一人その実力を見せ続けシーズン終了後には新人王を獲得。
最下位のチームの選手が新人王を獲得するのは異例の事だった。

そんな選手を他のクラブが放っておくはずが無く、J1昇格戦線で
覇を競った柏から正式なオファーが届き、菅野は移籍を決断をした。
プロサッカー選手として成長の為に、「わがまま」を貫いたのだ。
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