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2012年09月24日

2012年J2第35節 横浜FC-徳島ヴォルティス「Invisible One」

まだ、行方は見えない。昇格争いではない。福島のこと。夕方のニュースでも、本日の放射線量の値は発表されるし、そのニュースが流れると酒が入っていても皆目線を向ける。隣り合わせの現実だ。この放射能という魔物とこれから先何年も何十年も対峙していかなければならないが、目に見えず根本的な解決策はないに等しい。現地の方は直接口にはしないが、その将来に複雑な思いが交差している。誰もが答えを見いだせないでいる。



前半41分寺田が左足で入れたクロスにカイオが合せたシュートは、徳島DFに当たって方向が変わってゴールに突き刺さった。まるで見えない力がそうさせてくれたかのようなラッキーなゴールだった。このゲームはこれで視界が少しだけ開けていった。



試合開始からゲームを支配していたのは、徳島だった。2トップで先発したアレックスとドウグラスに当ててから展開するサッカーに横浜は何度も振り回されてしまう。回させているのではなく、回されている。そういう印象だった。試合後選手達が口にしているように、ボランチにプレスがかからず簡単に縦パスを許してしまった。



横浜も小野瀬のドリブルやカイオの力強い突破からチャンスを作りかけるが、決定的なシーンまでには至らずその流れを変える事は出来ないでいた。守備陣も押し込まれながら、最後のクロスに身体を張って徳島の選手を自由にさせないが、耐える事を強いられた。

そのゲームを動かしたのは、カイオのゴールだった。

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2012年09月18日

2012年J2第34節 横浜FC-松本山雅FC「"まだ"なのか。"もう"なのか。」

後半20分左からクロスを入れられる。「危ない!」とつい言葉が出たが、それはすぐさま現実のものとなった。ファーサイドの裏側に飛び込んでいた松本・木島にゴールネットを揺らされてしまう。「もう!」とため息が出る。後半システム変更して、勢いを出した松本がゲームを支配しており、決定的なシーンこそないが横浜は守備陣と1対1の状況を何度も作られていたし、サイドからほぼフリーの形でクロスを許す事もあった。



逆に前半は横浜のペースと言えるかも知れない。前半6分に森本が阿部のクロスにヘッドで合わせてポストに弾かれるも、それがゴールに吸い込まれた。幸先の良いゴールだったが、このゴールが結果的に横浜を悪い方へと押しやってしまう。中2日の疲れ、そして残暑、リードという状況で奮い立たない。組み立てが徐々に雑になりパスカットを許しては攻め込まれ、相手のミスでボールを奪い返すまで何度も走り回らされた。前半が終わる前から、後半頭からの交代を考えたほどだった。



後半頭から選手を代えたのは松本だった。前半途中でチェを入れておりこれで2枚目の積極的な交代。松本はこれがはまる。横浜は前線でボールが収まらない。横浜は高地を入れてゲームを落ち着かせようとするが、消耗戦になったゲームでは受け手が機能しておらず松本の進撃を食い止めるまでには至らない。



結局押し込まれ続けて、横浜の反撃は失点した後の2枚代えからだった。特に野上が1ボランチでアンカーになり、バイタルエリアをスクリーンするようになって横浜が押し返していく。
そして最後はカウンターありの、ミドルシュートありの打ち合いとなったが、どちらも追加点を奪えず1-1のドローでゲームを終えた。

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2012年09月16日

「初キエフも朝から慌ただしい」第9里 6/19

早朝のキエフ駅では何もする事がなかった。駅前に2階建てのマクドナルドがあるが、朝5時30分から。薄暗い駅のコンコースに座っていると軍服姿の若い青年2人が現れ「立て」とニヤニヤしながら命令してくる。口調は穏やかだが、やや馬鹿にしている感がある。まぁヨーロッパでは、アジア人を下に見ている人間もいるのでまぁ制服組と面倒な事を起こすのは損なので、黙って立った。すると今度は少し離れた通路に座っていた赤ちゃんを抱いた白人の家族にも立てと命令している。なんだかなぁ。まぁ怒っていても仕方ないので、彼らが見えなくなったら座ったけどねw

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朝5時30分になってマックに入った。まるでバーゲンセールの入り口みたいに人が密集。みな理由はほぼ同じで携帯の充電とWifiの利用。自分もどうにか席を確保して、食事をしたり色々スケジュールを整理したりする。海外は頼むともう少し早く入れてくれたりするが、ここはどうだろう。旧社会主義国だしなぁ。とは言え、ここでじっとしているよりも荷物を預けられるだけマシだし、マクドナルドも2時間いると冷房が強すぎて頭がおかしくなりそうだったので、ホテルに向かう。

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海外では本当に人は早起き。ここウクライナでも6時を過ぎると人が増えてきて、混雑するばかり。キエフ駅のすぐ北にあるヴォグザーリナ駅もまるで濁流が飲み込まれる様に、入り口付近は凄い人だかりだった。その中で日本人が、試合のチケットを提示して係員に改札を通過させてもらうというアナログな方法で乗車。

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通勤ラッシュはどこも同じで、混雑混雑。しかもスーツケースもった言葉の通じない日本人は迷惑だったろうなぁ。しかも夜行列車で移動してきて着替えてないままで汗臭そうwwどうもご迷惑おかけしました。

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posted by おかき at 20:42| Comment(0) | TrackBack(0) | EURO2012旅行記 2012.6 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月15日

清正



ヨドバシカメラの横浜店の地下にあるラーメン屋さん清正。熊本ラーメン。

名古屋市中村区生まれの自分には、清正って名古屋の感覚。清正幼稚園も近くにあるんだよ。

さて、頼んだのは鶏炭麺。鶏にひかれて注文。店は黒拉麺というのに、そっちにひかれるとは。

豚骨スープだけど臭みはないね。あっても気にしないけど(笑)最初黒いけど、スープは白くていいねえ。

お腹も減っていたから凄い早さで食べてしまった。
鶏肉まいうー、スープまいうー、中太麺まいうー!
posted by おかき at 13:37| Comment(2) | TrackBack(0) | グルメ風 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月04日

2012年J2第32節 横浜FC-栃木SC「充電切れ」

(カメラが試合前に故障したので当分写真はありません。。。)

前節甲府に敗れて、昇格プレーオフ圏内への戦いが現実的なものとなってきた横浜。とは言え、6位まで勝ち点の差はあり、何も保証されている訳ではない。逆に言えば、まだ自身で勝っていけばチャンスが全くない訳ではない。そういう状況の中で迎えたのは、目下の相手9位栃木。ここを叩いて上位に食らいつく姿勢を見せる必要があった。
ところがである。激しい豪雨と落雷がその戦いの炎を消し去ってしまう。試合開始直前に主審の指示で引き上げると30分遅れてキックオフとなるも、選手、スタッフ全員で円陣を組んでみたものの、ゲームではガツンと来るものがない。

気が付くと手元のデジカメのバッテリーが空と表示され電源すら入らない。確かに充電はしてこなかったが、中断する前まで撮影出来ていたので、いきなり全部切れる事はありえない。雨に濡れてというものも、強くなる前にとっくにゴミ袋の中に入れたのでずぶ濡れでもない。しかし、電源が入らない以上故障し撮影出来ない。

それと同じで横浜もスイッチが全く入らない。中盤で必死に佐藤が縦パスを入れようとするが、横に散らすのが精一杯の攻撃では相手にとって脅威にはなりえない。

逆に栃木は、縦パスで食いつかせて裏にスペースを作り出して何度も横浜ゴールに迫る。前半13分得点を栃木が奪う。左サイドから菊岡のボールに走り込んだ杉本が体勢を上手く入れ替えてボールを決めれば、前半24分にはコーナーキックのこぼれ球をサビアが決めて栃木が有利にゲームを進めた。
2点差もあり、栃木は前半の最初ほどガツガツ守備をしなくなったが、それでも横浜は相手の守備を崩す事が出来ない。

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posted by おかき at 04:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 横浜FC2012観戦記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月01日

長篠城

長篠の戦いはみんな知っていても、長篠城は殆ど聞いた事がない。長篠城は日本100名城になるのには訳がある。日本の歴史を変えたと言っても過言ではない長篠の戦いは、長篠城の攻防戦抜きには起こりえなかったかも知れないのである。

長篠城は元々菅沼氏が築城し、その後武田信玄の侵攻により武田家の配下になる。だが、信玄は病を患い上洛を止めて撤退する中で死去。武田軍は甲斐に引き上げ、その間隙を縫って徳川氏が三河での失地回復を図り、長篠城を奪還していた。そして信玄の嫡男・勝頼は1575年に再び上洛を開始。これにより長篠城での戦いが始まる。
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長篠城を守る奥平信昌の兵は500、武田軍は1万5000。豊川と宇連川の合流地点に立てられた後堅固の城は、武田軍の猛攻を退け続けたが、兵糧が尽きてしまう。そこで鳥居強右衛門という者を使者にし、岡崎城にいた徳川家康に援軍の要請を行うが、戻ってきた際に武田軍に捕らえられてしまう。ここで「援軍は来ない」と言えば厚遇すると言われていたが、「援軍は後数日で来る」と川岸から叫び城兵は意気軒昂とし結局武田軍は長篠城を落とせないばかりか、織田・徳川の援軍3万を呼び込んでしまう形となった。

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武田勝頼は、信玄時代の旧臣達が引き上げることを進言するも開戦を実行。馬場信房、山県昌景、内藤昌豊、土屋昌続は死を覚悟し、武田勝頼の本陣の近くにあった大通寺の井戸で最後の杯を交わしたという。
ほどなくして、武田軍は陣を長篠城を見下ろせる医王寺山から、西の平地に移動。ところが長篠城の見張りに置いていた部隊は、徳川方の酒井忠次の部隊により殲滅されすっかり取り囲まれる形になった。
そして、武田軍は鉄砲隊が待ち構える設楽が原に騎馬隊で突撃し、完膚無きまでに叩きのめされ武田軍の重臣を悉く失ってしまった。この後はご存じの通り、武田家は一気に滅亡への道をひた走る事になる。

長篠城は、遺構としてわずかに土塁や空堀などは残っているものの、そもそも戦国時代に廃城になった城の為殆ど何も残っていない。特に城の北側は普通にアスファルトの道が通っているし、南側はJR飯田線が城内を分断する形で走っている。だから長篠城単体というよりも、それらを含めた設楽が原にいくまでの物語をイメージしながら歩く方が良いと思った。

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posted by おかき at 13:23| Comment(0) | TrackBack(1) | 国内旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする