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2012年12月28日

「坂」 関憲太郎



「人生には3つのさかがある。上り坂、下り坂、そして"まさか"」

関はそのどれもを2011年の一年で経験する事になってしまった。2010年レンタル移籍でJ2のチームに加入してシーズン途中からスタメンを奪い、昇格戦線に足を踏み込むまでにチームは成績を上げた。レンタル契約を延長して、臨んだ2011年も背番号31は横浜のゴールマウスの前に立ち続けた。

チームの成績こそ芳しくないが、関のスーパーセーブで何度も救われたシーンはあり、「関だからあの失点で済んだ」という声もあった。



チーム状況はともかく、彼自身の評価は悪くなかった。しかし、約1年で築いてきた評価を壊してしまうプレーが起きる。
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posted by おかき at 03:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 横浜FC選手列伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月26日

今治城行ってきた

12月の3連休は愛媛に行こうと思っていた。クリスマス云々ではなく、やっぱり旅って楽しいから。28日からはメキシコにも行くというのに、そのお土産を仕入れようと思っていた位だった。
さて、愛媛に来たのは城が見たいからだ。日本100名城が5つもある。松山、湯築、今治、大洲、宇和島の5つ。その最初に行ったのが今治城だった。11時30分に愛媛に到着。半日で行けるところとして今治を選んだ。今ちょっと話題のバリィさんにも会えるなんて思いながら。

ところがである。JR今治駅を出ると人がいない。大きな道路を車が行き交うだけ。今の日本の地方の小さな都市の現実を見た。小学生らしき女の子が、自分のことを怪訝そうに見ながらすれ違っていく。地方は車社会だから、今治駅から今治城のたった徒歩10分も歩かないのかも知れない。

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今治城は築城当時よりも大分小ぶりになってしまった。3つあった堀が1つになり縄張りそのものが縮小。江戸時代より小さな街だったからこの位が良いかも知れないが、それでも1時間あればさっと回れてしまう小ささ。

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藤堂高虎は築城の名手で、彼はここに作った天守をそのまま次の赴任地に移築されてしまったりする。その位この天守は評価が高くこの天守が出来た事で他の大名もこぞって真似をした、まさに天守のひな形のような存在だったという。(城の案内の受け売りw)


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posted by おかき at 01:21| Comment(2) | TrackBack(0) | 国内旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月16日

熊本城行ってきたぁ

10月の横浜FCの熊本遠征に伴って、自分も熊本行きました。以前2006年に熊本に行ったときは、中々じっくり見られなかったがこの日は、熊本城の為だけに時間を確保して観覧してきました(笑)6時間くらいはいたと思う。

築城した加藤清正って熊本城のイメージが強いけど、尾張名古屋の人で自宅の近くに生誕の碑みたいなのが立ってるし、清正幼稚園てのもあって、自分には名古屋から出世した人ってイメージかな。ちなみに自分が出たのは豊臣幼稚園。どうでもいいか。

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櫨方門(はぜかたもん)が入場口になっていて、そこから竹の丸に入ると、最初から超弩級の城の大きさに圧倒される!遠くに天守閣が見えるけど、手前の独立櫓跡がまさに壁。写真を見ると手前に人がいるからその迫力がよくわかる。
ここからは城を回り込む様に東竹の丸を歩いたけど、今回は割愛します。。。

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この独立櫓群を抜けると上には二様の石垣があります。これは石垣の工法の違いがわかるところ。石垣好きな人向けに写真撮って来ました!ここにはないけど、きらびやかな天守を支えるのは石垣なんですよ。城を外敵から守るのも石垣あってこそ。男性は好きな方多いかも。

今でこそここを抜けると天守で楽なコースだけど、サッカーや将棋と同じで直線的なコースは当然守りも堅くなっているんだよねぇ。実際熊本城は西南戦争でも落城しなかった強い城。

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天守どーん!大天守と小天守の二つで一つ。本丸には武士がいたw松山城のぼっちゃんとかと同じ感じで。観光地ですね〜それとこの日、空が抜けるようにきれいだったぁ。

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posted by おかき at 11:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 国内旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月03日

「右SB=右サイドバックばっかり」 杉山新

サイドバックを翼に見立てるのは、横浜のエンブレムが不死鳥だからだろうか。その不死鳥がまだ完全に飛び立てないのは、この翼が毎年の様に生え替わっているからだろう。右サイドバックはそれが顕著で、J2に降格して以降08年は中田、09年は田中、10年は柳沢、11年は荒堀、藤田と監督の意向に沿った選手を獲得するが、柳沢を除いては様々な事情があるにせよ2年も在籍しないまま横浜を去っている。



難しい話は省略するが、現代サッカーでサイドバックの重要性は高く、スピード化に伴い運動量は必須。かつ、縦への突破にクロス、あわよくば自ら決めるシュート力、そして相手を押さえ込むフィジカル、柔軟性などキリがない。その重要なポジションが安定しないということは、チームの成績も安定しにくい。



右サイドバックが3人抜けた2012年、大宮から新加入したのが杉山だった。甲府所属時代に鮮烈なミドルシュートを叩き込まれた記憶がある方も多いだろう。小柄な身体でも終盤まで落ちない運動量、そして攻撃参加は魅力的だった。



本職の右サイドバックが一人の2012シーズンの横浜では、そこは彼の独壇場だった。岸野監督から山口監督になっても彼はポジションをキープし続けた。



ところが6月の栃木戦で井手口にポジションを譲るとそこからは井手口とのまるで1対1のサバイバルレースが始まった。井手口が出れば杉山が外れ、杉山が出れば井手口が外れる。そして試合に敗れるとポジションを明け渡すというシビアな戦いだった。
それはチーム全体で見ると良い循環だった。出た選手が結果を残したいから良いプレーをする。それがチームの勝利につながる。

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posted by おかき at 05:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 横浜FC選手列伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする