「社会貢献するのは恥ずかしい」という言葉をあるテレビ番組の中で聞いた。
それを聞いてもっと恥ずかしくなった。
「寄付をする」「支援する」という言葉は、多くの日本人にはとってもむずがゆくなるのかな。
私は今、このプラン・ジャパンのスポンサーになっている。ハイチの女の子と文通をしている。とは言っても、ハイチは政治的な混乱で郵便物が遅配しているので、先月出した手紙が届いているかどうかも怪しいけども。支援と言っても、月1000円から出来るし、文通をしたくなければしない方法もあるし。思っていたよりもかなり気楽。
こういう事を考え始めたのは、やはりアルバニアでストリート・チルドレンの子どもと出会った事や、トリニダード・トバゴで倒れて動けない浮浪者を見かけた事で、今自分はどれだけ恵まれているのだろうと考える様になったからかな。
海外に行くのは何も名所を見に行く為だけじゃなくて、そこで起こっている事を通して、自分との関係を確かめにいく事が重要だと思っている。
こういう活動を話すと「凄い」とよく言われる。でも、そんな大したことをしているつもりはないんだけど。貧乏なのに良くやるな、という意味では凄いかも知れないけど(笑)
それと、この活動に参加して一番自分に影響があるのは、その子どもが手紙などのやり取りを通して私の成長を見ていると思うと、モチベーションが上がる。その子の為にも頑張らなくちゃって思う事かな。言ってみれば私はあしながおじさんなのだ。
相当気長なことだけど、成長の証を見ているというのもワクワクする。その少女がどんな風に成長を遂げていくのか。一応子どもとは17歳までというルールだから最長であと10年近く彼女の面倒を見る訳で、ハイチの成長も見届けられる。何と素晴らしい事なのだろう。(ちなみに退会は自由なので精神的負担は軽く、やらされている感がない。だから、辞めようとも思わない)
社会貢献と聞くと、自分を犠牲にして何かしているという印象があるけど、今回こうした活動に参加することで思ったのは、自分も何かを得ているという事。自分がアクションを起こせば、誰かが救われるあるいは変わっていくというのは、本当に素晴らしい。
だから、思うんだ。
社会貢献は恥ずかしくない。って






人では無いのですが、我が家では引退した馬の余生に僅かながら
支援しています。妻は会員になり月毎の会費で支援、自分は
不定期に引退馬が過ごしている牧場へ人参を10キロずつ送って
います。(牧場の奥様が人参を食べる写真を送ってくれて
とても嬉しかったです。)
浪費防止の観点から、日頃からお財布の中には3桁の小銭しか
持たない暮らしですが、怪しく無い募金活動なら応じる事は
多いし、額はせいぜいおやつ代程度なので恥ずかしいと言う
感覚は無いですね。あ、額が少なくてごめん!って恥ずかしさ
はありますが(^^;)。
ジェニュイン
クリスザブレイヴ
ステイゴールド
達を思い出しました。私がお世話になった馬達ですからね。私も少女の写真はもらっているので、今度自分の写真を送ります。これが実は一番恥ずかしいですね。
自分でコツコツできる事をすればいいだけだと思うんですけどね。後はきっかけ。でもこれが難しいですね。
私も財布はいつも空に近いですね。使う時だけ下ろさないと浪費してしまうので。