公開終了しそうな、この映画「ALWAYS 三丁目の夕日」を見る事にした。
(これで3週連続鑑賞。でも殆ど1000円で見ているから安いもんだ。)
いろんなサイトでの評判が頗る高く、どんなもんかなと。
「夕日を見ると人は優しくなれる」
そんな思いが、最後まで貫かれた映画だった。
昭和33年の東京。戦後の貧困から抜け出しつつある時代で、
人々が元気に活気あふれ、次の時代を夢見て必死に生きています。
堤真一の「俺は鈴木オートをただの修理工場で終わらせるつもりはない」という
セリフも今、こういう事をいう人がいたら「頑張ってねw」と
嘲笑される事は間違いないでしょう。
しかし、この時代はそういう夢見て生きている人がたくさんいたのです。
前に「男たちの大和/YAMATO」を見ているだけあって、
「先人の礎の上に今の自分がいる」という気持ちは強くもって見られました。
戦後も常に純粋で、真っ直ぐで人情味あふれる人がいたんだと。
そして、頑張る彼らにいつも太陽は空の上から見ていますよ。と。
そうした思いは十分に伝わって来ました。
映画館でも年代が上の人にはうけがよかった感じです。
ただ、見た人間はそこで立ち止まってはいけないという事。
電気冷蔵庫が来て、裏に捨てられた氷式冷蔵庫を見て、
氷屋のピエール瀧が無言で得意先の家から無言で立ち去るシーンがあります。
その捨てられた冷蔵庫はどうなったのでしょう。彼はどうなるのでしょう。
よく冷える便利な冷蔵庫を手に入れた代わりに、
人情を介するという温かい冷蔵庫は姿を消していきます。
「かわいそうだね。」で終わってはいけないのです。
タクマ先生(三浦友和)も妻と子供を戦争でなくしています。
彼はその悔しさ、悲しさを背負って生きています。飲み屋で焼き鳥を
お土産にする時も、「娘が好きだから」と彼の時間は止まったままです。
「もはや戦後ではない」という言葉が世間にあふれている中、
そのショックを拭いきれない人も多くいた無情。
僕は掘北真希が泣くシーンよりもそっちにやられました。無情な世界。アナログからデジタルなのでしょうか。ピエール瀧と三浦友和がそれぞれ見せたシーンのコントラストは胸が痛くなりました。
人は何かを失って何かを得ます。この時代に夢見られた多くのことは日本の中で叶って来ました。しかし、その代わりに失ったものの代償は凄く大きい気がします。公害も差別も暴力も少しずつ表面化してきたこの時代。お日様は何でも解決してくる訳ではありません。これを見た僕らが次の時代、世代の為に何ができるかを考えていかなければダメだと思いました。
この映画を見て懐かしく思い、感動するのはいいのですが、「古き良き時代」だけでは片付けてはいけない。人間は未来があります。「温故知新」過去を見て、未来を創るなら、そこで立ち止まってはいけないのです。
「50年先だって、ずっと夕日はきれいだよ」
本当にそうありたいものです。



