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2009年12月05日

太田市 その1 大光院と金龍寺

以前栃木の試合に行く前に寄った群馬県太田市。そこにたどり着いて金山城をはじめとして、その一帯のスケールの大きさを感じて短時間では回れないと判断し、足利に引き返した経緯があったので、今回改めて金山城界隈だけを訪問してみた。

今回は新宿から伊勢崎までバスで約2時間、そして伊勢崎から東武鉄道を使って30分で太田駅に到着。この太田駅の北側に金山城はある。
が、その金山城の麓には有名な寺がある。一つは大光院、もう一つは金龍寺。大光院はこの地域では「呑龍さま」あるいは「子育て呑龍」と親しみを込められて呼ばれているお寺である。

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この「呑龍」とは江戸時代に実在した呑龍上人の事。徳川家康が先祖である新田義重を祀る為に呑龍上人を呼びこの大光院を建てたのである。呑龍上人は、非常に子どもをかわいがり、当時間引かれていた子ども達を禁に触れると知りながらこの寺で育てたという。そこから「子育て呑龍」という名前がついたのだ。私は子どもが好きだから、何だか親しみを覚える場所である。

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実際、この大光院の中にはその由緒にちなんだのか大光院幼稚園がある。直接のつながりがあるのかはわからないが、親しく感じる。

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ここは思ったよりも広く、本堂の他にコンクリートで作られた開山堂が聳え立っている。非常に力強さを感じた。それら堂の奥の方に呑龍上人の御廟は眠っている。そしてその脇に、新田義重の墓があった。彼を祀る為にこの寺を築いた家康の権力の大きさを感じた。

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その大光院からやや北数百メートル進むと見えるのは金龍寺。まだかすかに紅葉が残っている美しい景色の中、階段を登る。

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この金龍寺はそもそもこの地を支配していた横瀬氏が室町時代にその祖父である新田義貞の菩提寺として建立したものだったが、金山城が廃城になりその金山城を支配していた由良氏が茨城県牛久に移った際に僧らも移動した為、その後にこの地を支配した榊原氏が再興したと伝えられている。

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寺の本堂の中には毘沙門天と、新田義貞の坐像がありました。新田氏の菩提寺という事もあり、この寺の敷地の裏には新田義貞供養塔があり、また由良氏、横瀬氏の五輪塔もひっそりと並んでいました。

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太田という土地は太田駅前に新田義貞の銅像があるのを見ても分かるとおり、新田氏の場所だったのだなぁと実感した。そして、今度は金山城跡を目指します。
posted by おかき at 10:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 国内旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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