指定される事程面倒な事はない。
隣駅のMOVIX橋本でやっているのに、わざわざチッタデッラ川崎まで足を運ぶ。
「燃ゆるとき」は日本企業のアメリカでの奮闘を描いた映画。リストラ、レイオフ、
セクハラ、投資銀行、ユニオン。日本とは違った風土の国の中で懸命に生きる
サラリーマンを中井貴一が演じている。
物語としては、中井貴一が一度危なくなった工場を立て直し、それを部下の
裏切りによって壊され、日本に戻ってきて辞表を出すが社長に諌められ、
再びアメリカに行って厳しい状況になった工場を立て直すというもの。
「県庁の星」の時もそう思ったが、社会派の物語は言いたい事を何かに絞らないと
話がベルトコンベアみたいに、順々に流れていってしまって面白くない。
「泣ける」から面白いという事ではなく、中途半端になってしまっていて
一つ片付けまた一つ片付けという事を繰り返しているに過ぎないから。
社長(津川雅彦)が戦前の人間で、アメリカに負けたくないという事を
現地法人の社長(鹿賀丈史)に告白するのだが、そのシーンも後出し感が
強くてあまり共感できない。
昭和と今の平成では労働に対する考え方も、制度も違う中で「絆」あるいは
「家族」というものの大切さ、時代を超えても変わらないという部分を
伝えたかったのだろうが、物語に切迫感がないのはどうしてだろう。
脚本や演出がつまらないものだったからだろうか、
見ている僕らが生きているこの現代と乖離しすぎたからだろうか。
僕は両方だと思う。ミュンヘンはあの時代であっても今と同じく共通する事が
謳われていたから見られた。しかし、この映画ではそうなのだろうか。
この中での理想としては、「日本的な曖昧さがある温かい経営」なのだろうが、
現実はそんな生易しいものを受け入れる環境にない。
バブルがはじけ企業のTOPの勝手な放漫経営によって、従業員はその割りを
食ってリストラにあっている。それを受けて、安価な派遣・契約社員を増やし
正社員という企業戦士を切ってきた歴史がある。
僕らはそれが前提で仕事をしているところがある。映画の中での理想は
現代ではあくまで理想であり、もう追い求める類のものではないのかも知れない。
中井貴一がアメリカに赴任して、どんどん問題を解決していくのに、
後半は物事が進まない。仕事は大変なんだという教訓がスクリーンを
通して伝わってくるのに、前半の仕事は何もかもが上手く行くという矛盾。
後半だけしっかり描いた方が物語になる。
奥さん役の大塚寧々の扱いの酷さもそうだった。今あそこまで「好きに
やればいいよ」と言う人は珍しい。それでいて、その環境に感謝するのが、
機内食を断って妻のおにぎりを食べるシーンも明らかに違和感がある。
それが実話であっても違う表現にしなければ、客は納得しないできない。
昭和時代だから今から昔を描くの事は何でも許されてしまうのか。
これが演出や脚本の弱さだろう。
「絆」にフォーカスしながら、観客との「絆」は弱いままだった。
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男友達が隣で泣いていたので、
これは私のように冷静に観ると感動できない映画だと思いました。
車の外の景色の合成やお決まりにわかりやすい脚本、
演説シーンは長回しだし
まるで70年代くらいのハリウッド映画みたいで、
新しい作品なのに中途半端に手を抜いていますよね。
もっと日本での生活とかのほうを長くした方が、
いきなり後半帰ってきたスーパー社員みたいで苦笑。
中井貴一は軍服かなやっぱり。
コメントありがとう。おかきです。
僕も泣けなかったですねぇ。
やはりあの車の合成シーンは一気に冷めました。
今あんなにわかりやすい合成を映画でする人はいません。
障害というべき障害はなかった感じです。
仕事にトラブルは付き物なんだから、
それを解決する事をただ描いても物語として
面白くないですよね。
>中井貴一は軍服かなやっぱり
アレですねw