チームに加入すると聞いた時、誰がそれを信じられただろうか。
浪人一歩手前で、当時リトバルスキー監督が率いていた横浜FCに加入。
グランドは点々とする、クラブハウスはない、練習着は自分で洗う。
決して満足とは言えない環境をどうして彼は選んだのだろうか。

あの時を彼は苦笑いしながら答えた。「勝って這い上がるそれが
プロですからね」彼は加入した時から上だけを見つめていた。
彼の名は城彰二。鹿児島実からジェフ市原に進み、高卒新人として
開幕から4試合連続ゴールを挙げる快挙を達成。アトランタ五輪では
ブラジルを破る快挙を果たし、日本代表としてフランスW杯に出場。
日本人として初めてのスペインリーグでのプレイヤーにもなった。

そんな城が転落していく様は、傍目から見ていても歯がゆかった。
その城が横浜にやってくる。本当に使えるのか?
あのフランスで見せたニヤニヤした顔でJ2を馬鹿にしてるのでは?
どうせ一年だけで移籍する為の腰掛なのでは?

入団当時サポーターの様々な思いが錯綜する中で、その全てを吹き
飛ばすプレーを彼は見せてくれた。
活躍しては毎年囁かれる「移籍」の噂。彼はそのどれもを振り払い
「横浜FC」の為に身を捧げた。ある時は、怒り、泣き、悔しさに耐え、
彼はその思いの丈をプレーで見せる。それが本当のプロ。加入した
当初はまだ若かったが、毎年毎年大人になった。そうしているうちに
ある事に気が付く。横浜FCの昇格、つまりはチームとしての進化は
城の成長と同じ曲線を描いているのではないかと。
城がやってきた03年横浜FCは守備が崩壊した事もあって11位に
沈んだ。チームとして多すぎるイエローカード、自滅して自分達の
首を自分で締めていた時代。城もいた、マシューもいた、臼井も
いた。上手い人間は何人もいる。でも何かが足りていなかった。
城自身もリーグ序盤の試合で判定に猛烈に怒り、相手選手を倒して
報復を取られて退場宣告。ピッチ脇のウォーターボトルを蹴り
飛ばしていた。
でも、秋のバスを囲んだ広島戦の試合後、ジュンゴがゴール裏に
「何で俺達は謝らなくちゃいけないんだ!」とブーイングに
ケンカで応えそうになった時、「それでも俺達は謝んなくちゃ
いけないんだよ!」と一番にジュンゴを諌めていた姿が、心に
残る。どんな言葉を吐こうが、プロサッカー選手に求められる
のは「サッカーの結果」。あの日ずぶ濡れになってサポに頭を
下げ続けた城に対して、違う印象を持つ様になった。

自身のスランプでキャプテンマークを山尾に譲ったのは04年。
彼自身が得点を決められなくなった夏に、「ゴールに専念したい」
とキャプテンの重責から逃げてしまった。結果守備力は上がり
負けなくはなったが、リーグの半分を引き分けての8位。城の
スランプはチームの成績をそのまま象徴していた。
足達監督になった05年。チームは大敗や連敗をするが、彼の
言葉から逃げる言葉がなくなった。批判にも真摯に答えるし、
自分の言葉で何かを伝える様になった。子どもが生まれた事が
「守るものを見つけた男の強さ」と感じた。
それは今年2006年もそうだった。高木監督になった最初の試合。
実はゴル裏は試合の数日前に城に「フロントに対する不信感から
次節の鳥栖戦はコールをしない」と説明に行っている。でも、
城は怒るでもなく、無視するでもなく、真正面に受け止めた。
「監督はやっぱり自分達が結果を出せないから(解任に)なった
のだし、それは本当に足達さんに申し訳ないと思っている」と
話す。サポがコールをしない事を謝罪と同時に伝えても、小さく
何度か頷きながら
「うん、わかった。それはサポーターにも考えあっての事だから」
と穏やかな口調で 返事を口にした。あの荒々しい城はどこにも
なく、非常に大人になったと感じたものだ。

今年のプレーはFWという言葉では表現できない位の貢献度だった。
前線から守備に走り回り、サイドMFまで下がったりもし、守備を
しないアレモンとコンビを組めば、ボランチの位置まで下がって
食い止める。まさに獅子奮迅の動きだった。
もちろん貴重なゴールも決めたし、彼がチームにとって必要
不可欠な存在だった事は誰が見ても頷ける事だろう。FWに専念
したいとキャプテンが駄々をこねていた時代が実に懐かしいまでの
成長ぶり。彼が我慢する事でチームは結果が出たし、テレビの
対談では「守備的サッカーが楽しい」とまでコメントしている。
今年高木監督になってから快進撃が続き、彼とJ1にと思った矢先の
徳島戦の直前での引退発表。あの時期に発表するのは、チームや
サポーターの思いを一つにするという方法なのはわかっていた。
ただ、私は彼が今シーズンで引退するのだろうと思っていた。
雑誌の中で彼が「もうやり残した事はない」とコメントした事に
私は城に質問した事がある。彼はこう答えてくれた。「神戸や柏は
J1に戻る使命というか義務感がある。でも、横浜は挑戦者。失う
ものはなにもない訳ですよ。肩に載った戻らなくては行けないと
いう重いプレッシャーはないんですよ。そういう意味で。」
この言葉を聞いた時、つまり答えをはぐらかした時に「引退」の
二文字が自分の頭の中に強く刻まれた。なぜか?
「やり残した事がない=失うものはない」というのはイコールでは
ない。やり残したってのは行為としてその場を離れる事を意味し、
失うものはないというのは立ち位置を変える事ではないからだ。

城のその言葉を聞いた時、衝撃が大きすぎて次の話にすぐに移れ
なかった。彼は平静を装ってなのか、ニコニコしていたが、自分は
固まってしまった。今年までなのだと。
城がキャプテンとして逃げずにチームがまとまった事が横浜の
昇格の原動力の一つに挙げられるだろう。チームを鼓舞する姿勢、
一番前でチームの盾となる存在、実績、経験、発言力、そして
横浜をJ1に昇格させたいという気持ち。10/28柏戦3-1とリードされ
ても前線からチームに喝を入れる、あの姿。ゴールした選手を
一番最初に抱きしめる、あの姿。そして、負けたら悔しい顔を
して、非難にもじっと頭を下げて耐える実直な姿。
もう彼の姿を三ツ沢で見られなくなるのだ。
菅野は優勝報告の記者会見場でありながらこう言っている。
「本当にさびしい。でも、まだ撤回してくれる可能性もあるんで。
俺たちはできることはグラウンドで表現することだけ。城さんが
考え直してくれるようなプレーをしなくてはいけない。本当に僕は
撤回を願っている」

それは何も菅野だけの思いではない。三ツ沢に集うサポーター
全ての気持ちだ。届かないかもしれない、聞こえないかもしれ
ない、結果は何も変わらないかも知れない。でもきっと言って
おかなければ必ず後悔する言葉がある。
「Say it ain't so, Jo」と。(嘘だと言ってよ、城)
*MLBの名打者ジョー・ジャクソンが八百長疑惑に掛けられた時に
子どもが彼に言ったとされる言葉。「Say it ain't so, Joe」より




