2007年08月22日

散歩がてらに昌慶宮だが U-17W杯韓国の旅 第7幕

ゲストハウスに荷物を降ろしたら、必要最低限のものだけ持って
直ぐに観光に出発。
この日は夜に光陽で日本代表とナイジェリア代表の試合があり
そこに向かおうと考えていたが、金浦で乗り換えて麗水(ヨス)に
向かいそこから電車では時間がかかりすぎるのと、予算面を考えて
断念した為、この時間に空きが出来た。
今回の旅ではほぼ毎日観戦が入っているので、その残りの時間に
どの位観光できるかも考えておかなければならなかった。



観光と言ってもゲストハウスから歩いて行けるのが、ここ昌慶宮。
発音は「チャンギョングン」。徒歩約10分。ソウルの風に当たりつつ
歩いてと考えていたら横は5車線の大きな道で排気ガスばかり。
国立ソウル科学館を抜けて入り口になる弘化門に向かう。



昌慶宮は元々世宗が1418年に寿康宮として建てたもの。その後成宗の
時期に拡大されて昌慶宮となった。壬申倭乱の時期に消失し再建
したが火事で再び消失し、それを1834年に再建したものである。
だが、正殿になる明政殿は1616年に再建されたものであり、
朝鮮王宮の中で最も古い建物になるという。


明政門の奥に明政殿がある。立っているのは1483年建造の玉川橋


明政殿が見えてきた


これが明政殿


扁額にも明政殿

昌慶宮はまだまだ広く、明政殿の脇には文政殿がある。


文政殿は国王の執務の場所として作られたが、壬申倭乱で消失し
再建し朝鮮末期まであったが、日本の植民地下で消えたと
推定されるとガイドにはある。
その後明政殿1986年の復元工事の際に復元された。

明政殿の裏には崇文堂がある。


ここは英祖が直ぐ近くにある成均館の学生に接見したり、
試験を行ったり、酒宴を催す場所であったという。

そして、その奥には涵仁亭が見える。


この場所には仁陽殿があったが、壬申倭乱で消失しその後
仁慶宮から涵仁堂を移築して、涵仁亭になった。その後火事に
なったものを1833年に再建して今日に至る。
主な目的は文武科挙で首席合格した人間の接見の場所である。

この辺りには宮殿が集まっており、まだ半分を見た程度。
この涵仁亭の先には4つの宮殿が見える


景春殿は最初大妃のために作られ、その後王妃が住んだ場所。



歓慶殿は実際に国王が住んでいた場所。
案外こじんまりとしている。


通明殿は宝物818号にも指定されている宮殿。
周りには池や花壇もあるらしい。


養和堂はその通明殿の横に立っているひっそりとした建物。

と、この辺りでモチベーションが低下。ソウルに着いて
いきなりこれだけ見ているとものすごく疲れるし、しかも暑い。
体力が落ちてくると、思考能力まで低下する。
それぞれに説明文が日本語でもあるのだけれど、かすかにしか
覚えていないのだ。これが。
posted by おかき at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | U-17W杯 韓国の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/53903179

この記事へのトラックバック
新着記事
記事検索