見つけた男の強さ」と表現した。
→「Say it ain't so, Jo」嘘だと言ってよ、城
城は感情を表に出してチームを鼓舞し、チームの為にまるで烈火の
如く奮い立ち、その炎が雑音や障害物を焼き払い、前進する原動力に
なっていた感がある。
そして、その炎をもう一人持っていると思ったのがこの吉野智行で
ある。その炎は城の様な激しさはないが、まるで常に消える事なく
我慢強くて芯が通った選手だった。ピンチになれば中盤で声を出して
コミュニケーションをとって味方を鼓舞し、戦術面の修正を行う。
長い試合で大切なのはその場だけの勢いではなく、勢いやリズムを
如何に粘り強く続けられるか。そういった意味で、吉野の様な全体を
見て戦える選手は監督にすれば「ピッチの中の監督」で、その証拠に
昨年新加入の身でありながらゲームキャプテンを務める事もあり、
監督の信頼度の高さが窺えた。

プレースタイルは、ボランチとしては「忍」そのもの。昨年で言えば
鄭や今年の根占の様な強力な奪取力が売りではないし、山口の様に高い
技術でボールを奪い取る訳でもない。しかし、彼にはスペースを感じる
アンテナを持っていた。相手がどこに攻め込みたいのか、それを察知
して的確にスペースを消し、ゲームをコントロールした。
そして機を見てはスルスルと前線に顔を出し、シュートチャンスを
窺う辺り、ゲームの勘所を押さえた賢い選手である。湘南で10番を
着けていた事からもわかる様に、どのチームでも相手からみたら
センスがある嫌な選手だった事だろう。

その吉野の2006シーズンは出入りの激しいもので、長く出場したと
思いきや、長く欠場する事もあったシーズンとなった。また終盤には
チームの流れが良い事もあって出場機会が得られなかったところは
あったが、ポイントとなる試合では必ず出場し結果を残した。9月の
仙台戦、10月の湘南戦はアレモンが欠場する中で攻守のバランスを
取り勝利に貢献している。
不完全燃焼に終わった2006シーズンに雪辱を期す意味でも、今年は
例年以上に気合が入っていたに違いない。過去と同じ過ちを繰り
返したくなかったから。
入団した浦和は1999年に降格、2000年に昇格したが、吉野自身は
出場機会に恵まれず2002年半ばJ2の湘南にレンタル移籍が決まる。
その時「一緒に戦うからには、レンタルという形ではありますが、
自分の中では完全移籍」と彼は述べている。世代別の代表経験が
あっても、プロは結果を残さなければ厳しい世界が待っている。

その経験から彼は今シーズンに賭けていた。高木前監督が採用した
山口の1ボランチ構想で出番に恵まれなかったが、彼は気持ちを
切らす事なく常に出場機会を窺い、出場すれば結果を出して
スタメンを窺っていた。実は吉野の出場した試合は3勝6敗2分と
半分近くは勝ち点を挙げている。底からの突き上げでチームが
活性化すればリズムが良くなる事を彼は知っていたからである。
その気持ちが垣間見えた、夏の甲府戦、10月の川崎戦では以下の
コメントを残している。
「僕は去年の昇格したメンバーの1人ですから、またJ2に戻るのは
シャクですし、引退した城くんや、それこそアレモンにも申し訳
ないと思います」(8/15甲府戦)
「僕は、去年からこのクラブにいる人間の一人として、ここに
今いない人のぶんも戦っているつもりです。」(10/7川崎戦)
降格迫るクラブにおいて敢えて強いコメントを吐き、選手を鼓舞し
サポーターも熱くさせた。昨年の昇格で彼は大きく成長したの
だろう。背負っているものを意識するコメントを初めて聞き
かすかな希望を期待した。
だが、彼の思いとは裏腹にチームは最下位のまま降格が決まる。
そして彼には戦力外が通告された。

今年の出場試合時間などを見れば決して多くはないが、30歳を
越えるベテランを多く放出して来年のJ2を戦う上で、気持ちを
常に高く持ち精神的な支柱になる事が出来た選手だった。
戦術眼も高い、センスもある、気持ちもある。そういう選手が
埋もれていくのは横浜FCに関係するからではなく、1サッカー
ファンとして悲しい。私はもっと彼のプレーが見たかった。
これからは「忍」では無く、彼を「偲ぶ」しかないのが寂しい。



