忘れる事ができない情景を見たに違いない。城の引退。横浜FCに来て
チームの不振と戦った男が昇格を手土産に引退をし、また緩んだ終盤で
敢えてそれを口にする事でチームもサポーターも一つになった。
ところがその徳島戦のヒーローは彼ではなかった。三ツ沢で初めて
見た鳴門の王子様・玉乃淳だった。2006年シーズンJ2で戦う事になった
東京Vからレンタルで徳島に移籍。元々足元の技術に定評のあった
彼はチームが低迷する中で大きな輝きを放った。48試合のうち34試合に
出場し2得点を上げ、そのうち1点は鳴門で柏を倒した時の貴重な
ゴールだった。

そして横浜FCの昇格ロード真っ只中に立ちはだかったのが彼だ。
11月の徳島戦は誰もが城のゴールで、少なくとも勝利してホームで
昇格を決めたい。そう考えていた。だが、玉乃はそういった空気を
読まずに、プロフェッショナルに徹した。脆弱なる攻撃陣の後ろで
左右に豊富な運動量で顔を出して、横浜のサイド攻撃を遮断。
ボールを奪えば正確なパスで前線にボールを供給。
低迷する徳島の中で一人気を吐き、チームに喝を入れると同時に
「三ツ沢で城が決めて昇格」等という淡い幻想から、勝負の厳しい
現実の世界に横浜のサポーターは引き戻されたものだ。

その玉乃が昨年の12月中旬に横浜FCに加入すると伝えられ誰しもが
あの徳島戦での彼のプレーの再現を期待したのだった。
ところが、その期待は高木監督の戦術の前に打ち砕かれる。
徳島ではボランチだったが、横浜では山口というボランチがいる。
サイドに置きたいが守備に難があると見たのだろう。
幾度かベンチに入る事はあったが、前半のうち出場はなく、カップ
戦の大分戦で出場した際も「チームのリトリートサッカーにまだ
慣れてない。」と戦術面でフィットしていない事を吐露していた。

三ツ沢の上の方に彼の断幕が出ているのはご存知だろう。
「EL ARTISTA 玉乃淳」英語にすれば「THE ARTIST 玉乃淳」
元々Aマドリードユースで頭角を出した高い技術とセンスを持つ
彼のプレースタイルを表現しているのだが、その芸術家が理論を
考え悩んでいた。自分をチームに合わせていかなければならない
苦しい時間だったに違いない。
4月半ばの大分戦以降出場機会を失った彼がたどり着いたのが、
「心を込めること」。Jリーグがアジアカップによる中断直前の
千葉戦で彼は限られた時間の中で精神を研ぎ澄まし集中した。
交代で入って直ぐの自分のボール。それまで横浜FCはパスを
ダラダラと繋いでは放り込むだけのサッカーだったが、
彼が選んだのは「自由に自分らしく」。ドリブルで積極的に
相手と勝負してファウルを誘った。チームは0-1で敗戦を迎えたが
たった1分1プレーだった彼には後半戦への切り札になるという
サポーターの思いが蘇ってくる。
それは高木監督もわかっていた様で、「自分のためにだと思うの
ですが、トップ下を置く練習をかなりやってもらっていた」と
玉乃が言うように彼の出場時間も徐々に増えていった。
J2と違って簡単にはプレーさせてくれないが、縦への突破は
魅力で、彼がボールを持つ度に何かを期待させてくれた。

ところが、彼は9月のFC東京戦でミスを犯す。ボールが足に付かず
ミスを連発し、攻撃にリズムを与えられなかった。1点を追い
かける切り札として、ジュリオレアル監督を失望させた。
降格圏を彷徨うチームで彼がベンチに入る余地は無くなった。

11月の練習試合でも右SBだったり3本目に出場する等厳しい扱い
だったが、彼はドリブルで相手を振り切ってアシストに近い
シーンもあって、期待値を込めてだろうか戦力外通告には
ならなかった。また重用しなかったジュリオレアル監督が退任し、
気心知れた都並監督の就任も影響しているのだろう。
だが、12月中旬横浜FCは彼と契約更新をしない旨を発表した。
これはどちら側から何を働きかけたのかはわからないが、彼は
横浜FCを離れる決断をした事だけは決まった。J2徳島で王子に
なった玉乃が、戦術や理論に縛られてしまい「芸術家」の様な
自由なプレーが出来なかった事が一番の理由なのかも知れない。
でも私達は忘れない。2007年の横浜には、気持ちをプレーに込めた
「EL ARTISTA」がいた事を。



