彼はどう捉えていたのだろう。横浜FCの一員として日産スタジアムに
降り立った彼はきっと後悔の念すら抱いていたに違いない。
何がなんだかわからないうちに点を決められ1-8という屈辱的大敗。
それだけではない。来日1週間では日本語もままならず、仲間に
どんな言葉をかける事もできない。通訳はいたかも知れないが、
ピッチで声をかけられなければ、来日1週間の選手と周りの選手の
呼吸を合わせる事もままならない。
しかし、そんな選手がスタメンで出場しなければならない程、
横浜FCの台所事情は苦しかった。

その横浜ダービーに敗れ、続く甲府戦でも敗れ迎えたガンバ大阪戦。
サッカーをするのは言葉ではない。自分の足でするものだというのを
彼がサポーターに教えたのはこの試合だった。
横浜FCは早川が後半にこの日2枚目のイエローカードで退場し、
その数分後に先制を許してしまった。誰もが大差での敗戦を覚悟する
中、ボムソクだけは違った。
彼が中央の位置に入り中盤を豊富な運動量でガンバ大阪の攻撃を
遮断し続け、それはボランチと一言では片付けられない働きだった。
前線から積極的にチェイスしたと思えば、自陣深くにまで戻り壁と
なって相手に立ちはだかった。攻撃になれば積極的に前を向いて、
相手に囲まれても仕掛けた。
横浜FCは和田のゴールで追いついただけでなく、逆に10人になっても
ボムソクに引っ張られる様にガンバゴールを目指した。降格した
横浜FCの2007シーズンでも評価が高いといわれるこの試合の中心には
間違いなく彼がいた。アジアカップで10人の韓国代表が、11人の
日本代表にPK戦の末に勝利した映像の再現を見ているかの様だった。

当時首位だったガンバに10人で戦えた。息を吹き返したかに思えた
横浜FCだったが、その後鹿島戦に敗れた事で高木監督が解任される。
ここからは彼は、新しい監督だけでなくケガとも戦わなくては
ならなくなった。その影響からか9月上旬からのプレーでは精彩を
欠き、8月に見られた躍動感を失ってしまった。
残留の使者を失うとチームの勢いも降下。監督が交代し、
チームの戦術を一から作り直す為に、9月は猫の目の様に選手を
試し、連携は中々構築されないままだった。

そして、残留の為に日本にやってきた彼が最後にプレーしたのは、
皮肉にも降格が決まってしまった神戸戦だった。
その後は、怪我の影響もあり練習試合にも殆ど出場せず。
残留の為に呼ばれた助っ人はその目標を果たす事が出来ず、予定
通り契約満了となった。いや例え高い年俸をもらったとしても
J2にいるべき選手ではない。
助っ人としては、出場して得た勝ち点はたったの「1」で
期待はずれと言う事もいえるだろうが、彼がその唯一の勝ち点を
獲った試合で「サッカーは自分の足でするもの」と現役韓国代表の
名に恥じない強い気持ちを見せてくれた。三ツ沢が燃えたあの
ガンバ戦は絶対に忘れない。



