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2011年12月11日

脱北の朝 11/17

最終日。少し早めに荷物を整理して部屋を出る。10時30分の高麗航空に搭乗するために、8時にはホテルを出なければならない。

出発する前に、ガイドから「申し訳ありませんが、写真とビデオをDVDに一緒に入れる話は出来なくなりました。」って。なんて事だ。裏切られた。その言葉しか出てこなかった。朝鮮国際旅行社という会社は、共産圏においては国営企業=公務員みたいなもの。前日の交渉の中でも「私だけの判断では決められない」と何度も言っていた。結局表向きは「他のツアーと違う条件になるのはまずいという判断があった」といわれたが、JFAの西鉄とも中外旅行社とも、それこそほぼ同日のセリエのツアーとも違う条件(例えば、食事や訪問地も微妙に異なっていた)なのに、この場合だけ「違う条件はダメ」とは。
結局DVDを1枚買い、ツアーの人間でお金を出し合い帰国後ダビングすることで決着。コピーガードがかかっていたら、自分が買い上げようと決めていた。写真は結局買わなかった。ラミネートされたA4版の写真なんて手元にあっても、遺影用の写真に使う位しか能がない。ダビングできることに祈るしかなかった。

その絶望感とやり場のない怒りを抱えながら順安空港に到着。とは言え、ここでガイドともお別れ。最後に預けたパスポートを返却してもらう。(というか、この預けは多分何か意味があると思うんだ。)最後出国検査の前に税関でなぜかX線検査やら身体検査があり、その先で高麗航空のチェックインを行う。パスポートと出国カードを見せてチケットを受け取る。簡単といえばそうだけど、怖いとも言える。

そしてやっとデジカメとの再会。最初にチェックしたのは画像が消されていないこと。このカメラの手配を、ガイドが税関を超えて倉庫の中から袋をもらっていた。正直何でもあり。出国審査は本当に適当で、パスポートと出国カードを渡しただけで、航空券にスタンプが押されて戻ってきた。

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2011年12月08日

平壌最後の夜 11/16 その3

(DVDは6月6日中学校までなので、再びここからは写真なしで進みます。)


・プエブロ号

平壌を離れる前に最後にたどったのは、プエブロ号事件で有名なプエブロ号。1968年の南北関係で有名な事件と言えば、北朝鮮軍が韓国軍兵士に変装して韓国の大統領府を襲撃しようとした青瓦台事件が有名で、これを機に南北間の緊張が一気に高まるのだが、その片隅で違う事件も起きていた。それがプエブロ号事件である。

北朝鮮の東岸で北朝鮮軍や港湾一帯の通信傍受をしていたアメリカの環境調査船プエブロ号が、北朝鮮軍により拿捕され乗員82名は日本海を曳航され平壌に人質状態となった事件である。というのを大同江に今でも係留されているプエブロ号船内の日本語のDVDで知る事になる。一種のプロパガンダ映像である。
きっとアメリカにも違う言い分があるのだろうが、当時はベトナム戦争で朝鮮半島でそれ以上の緊張状態や戦争状態に入れない事情も理解でき、だから外交で謝罪して乗組員を返還してもらったのだろう。
逆に北朝鮮は、アメリカの鼻を明かしてそれを雄弁に語る。日本はこの事件に関して言えば、ほぼ第三者になるのでそのやり取りは見ていて面白い。

プエブロ号を案内したのは、当時北朝鮮軍でプエブロ号の突入にも参加したという年老いた兵であった。勲章がたくさんあったので、階級は高そうである。外は真っ暗な中一人大同江の川岸で待っていてくれている。この辺は北朝鮮はしっかりしている。遅いからどこかで休んで、タラタラ現れる感じではない。

実は北朝鮮で一番勉強になった見学地だったりする。金日成の偉業を讃えるばかりの建築物を見ているより、銃創が残るプエブロ号の方が遥かにリアルである。

そこからみやげ物屋により、食事をしてホテルに戻る。

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2011年12月07日

平壌に戻ってきた 11/16 その2

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開城の街をバスは走る。が、すれ違う車、行きかう車すらない。記憶にもないかも。牛車がいたのは覚えているのだが。平壌とはその位の格差がある。

・高麗博物館(高麗成均館)

992年に建てられた高麗の最高教育機関を見学に来た。場所は高麗の首都だった開城。ここは板門店から程近い街でバスで約10分もあれば到着する。ここには発掘された高麗時代の食器や鐘などが展示されていた。とはいえ、博物館は正味30分近くだった。近くには開城を高麗の首都とした王建の陵墓などもある。
ここはたまに記事で目にする開城工業団地などがあるところで、韓国資本の工場とその労働者のための住居があるのだが、自分が見た限り車の数は少なく殆どが自転車か徒歩。平壌と比べると雲泥の差がある気がした。

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ここを出ると、食事を取り平壌に戻る。この帰りの2時間でやったのは、写真をデータでほしいという交渉。DVD1枚8000円プラス写真1枚500円を、DVD1枚で動画と写真を全部入れることで妥結した。ちょっと高いが、写真をプラスチックのラミネートでもらうよりはよっぽど良い。これは自分だけの思いではなく、他の参加者にも意向を確認して進めた。一旦は破談になりそうで、カメラマンは不機嫌だったが最後はよくまとめきった。JFAツアーの様にプラスチックでラミネートされたA4の大きさの写真を買わなくても良い。その結果に胸躍らせていた。

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JFAツアーは帰り、残りの人間は観光に 11/16 その1

(DVDが手に入り、画像をキャプチャできるので分割します。)

試合が行われた翌日は、板門店への観光だった。平壌から板門店までは車で約2時間。朝7時30分に出発する予定だった。早めに食事をしていると、ホテルのロビーが騒がしい。JFAのオフィシャルツアー組が帰国するから集合していた。そこでは何やら写真を販売していた。観光の際にカメラマンが写真を撮り、それがプラスチックでラミネートされたものがA4サイズで1枚500円だという。

カメラを取り上げておいて、それは無いんじゃないの?と感じた。だから、カメラを取り上げたのも税関だけの行為なのかというところで疑問が湧いてくる。今回日本人150人が訪朝したが、年間の北朝鮮への日本人旅行者に匹敵する数という。2年分の売り上げになるのなら、国ぐるみでそういうことがあってもおかしくない。もしくは税関のその情報は旅行社に渡っており、カメラマンが手配されていたのかもしれない。

平壌市内の観光の際に「インスタントカメラで撮影しても、順安空港の税関でカメラごと取り上げられる可能性がある」と言われ、それを大義名分にカメラマンを雇い一枚500円で販売する。北朝鮮に対してというよりもこの旅行社に疑心暗鬼になってきた。

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結局8時に出発。7時45分に老人が遅れて乗車し、一番遅れてきたのは二日酔いで8時にやってきたもう一人の朝鮮人ガイドである。それでも「日本人の皆様のツアーですので、遅れてもらっては困ります。」とツアー客に怒る。この辺りがよくわからない。

平壌から板門店がある開城(ケソン)までは外国人ツアー用の高速道路で向かう。舗装はされていたが揺れが激しい。平壌から離れると風景が一変する。どこまでも続く荒野。手を入れているのかわからない畑と遠くに見える山。それがずっと続く。信号もない。人も殆どいない。時折みかける人もまさしく農夫で小ぎれいな格好とはいえない。
やはり平壌は北朝鮮の中でも裕福であり、裕福であるという事は身分がそれなりに高い人間が集まっているのだろう。その差を見せないために、地方に行く場合には専用道路があり北朝鮮の庶民と隔離しているのだろうか。

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2011年12月01日

テレビに出るとか、出るとか、出ないとか こぼれ話

帰国後、ここを見たり世の中に出ると「テレビに出てたね」と言われるけど、平壌では日本の放送はNHKのNHK WORLDしか視聴出来なかったので、自分の映像は全く見てないんだな。これが。
詳細は書かないけど、14日夜から19日朝位まで出ていたらしい。

ちなみに北京では、高麗航空のカウンターの近くで日本人にたくさんインタビューしていたなぁ。そこにはTBSも日テレもフジもいた。たまたま日テレ系の中国人記者が北朝鮮に入るので、試合後のインタビューも依頼されてしまっていた。
試合後、金日成競技場をバックに映っていたのはその依頼。カメラの後ろにバスがあるので乗り込もうとしていたら、「インタビューお願いします!」ってダッシュでコメント取りに来ていた。

でも、それ以外にも出発前に取材(インタビュー)の依頼もあった。しかも家に来て撮りたいとの事。ブタ箱というかゴミ御殿みたいな自分の家では無理なので立ち消えに。空港での取材も羽田で早朝なのでこれも無理との事で結局、先方から音信不通になり立ち消えに。これは某日テレ系の昼過ぎの情報番組ね。

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2011年11月30日

平壌市内観光 11/15

カメラやユニフォームを全て空港の税関に預けるという失意の平壌到着から一夜明けて、この日は午前は平壌市内観光、夕方から試合観戦というスケジュール。カメラは前夜はインスタントカメラを買える場所を手配する話だったが、カメラマンを同行させることで写真撮影するとの事。でも、自分の手元にはカメラはないので、単語をググッてもらえれば結構画像は見つかります。

ホテルを8時頃に出る。平壌は寒い。吐く息が白くなる。バスの窓は曇る。相模原と同じ位寒い。厚手のコートやダウンがないと朝は厳しい季節になっている。考えてみれば北緯38度線よりも北にあり、日本で言えば秋田と同じ位の緯度だからその位なのかと妙に納得していた。

・万景台(マンギョンデ)

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万景峰号と鄭容臺を知っているとなんとなく読めてしまう。ここは金日成の生家がある地域。茅葺きの家が再現されていた。若い日の金日成はここで寒さに耐えながらも毎日学校に行ったとか、そういう話を聞いた。ここは風景が良く、大同江の上流と下流を眺める事の出来る風光明媚な場所であった。

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・地下鉄

平壌にも地下鉄がある。十字を描く様に走っており東西に走る革新線は楽園駅から光復駅、南北に走る千里馬線の富興駅から赤い星駅といった具合である。北朝鮮の地下鉄の駅名は、地名などではなくそのほかにも勝利駅や革新駅、建国駅といった具合に思想的な単語が使われている。外国人向けに公開されている富興駅から隣の栄光駅まで乗車する。団体入場口から入ったが、平壌市民は紙かカードでの切符がありそれによって入場するらしい。地下鉄はどれだけ乗っても5ウォンとガイドから説明があった。つまり5円。

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改札から入るとすぐにエスカレーターで下る。これが長い。核シェルターになっているとかで100メートル下まで降りていく。エスカレーターでは途中に設置されたスピーカーから音楽が流れている。アリランだろう。平壌市民と明らかに着ているものの色や種類が異なるので、観光客と認識されていて、この団体客は皆の注目を浴び続ける。

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駅は薄暗い。節電モードの日本よりも薄暗い。電車に乗るが、車内の電灯は数える程度しか付いておらず、座席に座ったのが日本からのツアー客なのか、現地の人間なのか一瞬で判断できないレベルであった。
栄光駅で下車してバスに乗る

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・チュチェ思想塔

バスは大同江を渡り、チュチェ思想塔に向かう。チュチェとは主体のことで、主体思想とは簡単に言ってしまうと金日成が打ち出した主義の事。細かい哲学的な話は置いといて、チュチェ思想塔は金日成70歳を記念して1982年に建設された世界で最も高い石塔である。花崗岩で出来ており、エレベーターで150メートル昇り、そこには高さ20メートルにも及ぶ炎のオブジェがある計170メートルの塔で、大同江を挟んで軍事パレードで有名な金日成広場や人民大学習堂が見える。北にはマスゲームで有名なメーデースタジアムも広がっている。これを登るのに日本円で1000円。

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入場口には世界からこの塔の建設に当たって寄付をした団体のプレートがあった。日本青年チュチェ思想研究連絡協議会、日本キムウィルソン主義研究会などがあった。

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チュチェ思想塔の脇には、釜、筆、ハンマーを掲げた3人の銅像があり、これが釜は農民、筆は知識人(ガイドはインテリと言う)、ハンマーは労働者を示しているのだと言う。

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2011年11月26日

羊角島のほとりのホテル

今回の北朝鮮で宿泊したホテルは、羊角島国際ホテル。平壌の中心を流れる大きな大同江に、羊の角の形をした中州がありこれが羊角島と呼ばれ、そこにこのホテルが建てられている。中州なので両岸とは橋でつながっているため、外国人の隔離をしやすいと考えられている。48階建てで47階には円形のレストランもある(回転はしない)。
今回、オフィシャルツアーの西鉄旅行、セリエネット、307のツアー客は全てこのホテルに宿泊することになった。それぞれのツアーごとで階が分かれており、ガイドもこのホテルの低層階に宿泊している。高層階にガイドが泊まると逃げられる恐れもあるからだろう。
ちなみに、宿泊階のフロアにはガードマンというか、監視役が24時間見張っていた。挨拶しても会釈すらしない。個人的にはだからといって、犯罪者扱いとは感じない。

部屋は思ったよりも広かった。一人客の場合は、ツインの部屋を一人で使ったこともあるが。風呂、トイレなどの最低限のアメニティは揃っている。シャンプー、コンディショナー、アフターシェーブローション、石鹸、カミソリなど。ツインなので大きな鏡の左右に丁寧に並べられていた。

鏡といえば、ニュースでも監視されているなど噂になったが、少なくとも寝室の鏡は取り外せたからまぁ大丈夫ではないかと。(ちなみに選手が宿泊したのは、平壌高麗ホテルというこの羊角島ホテルと同じ「特級」という北朝鮮では一番良いクラスの別のホテル)盗聴器はあるかも知れないが、まぁ勘繰っても探せる範囲は決まっているので。

エアコンもあるし、部屋からも日本に電話できるみたいだった。ちなみにテレビは、NHK WORLD、中国のCCTVが数チャンネル、BBC、朝鮮中央放送が視聴できる。テレビは何を放送するかコントロールできるから、平壌市民が見ているものとは違うんだけどね。
ちなみに某ガイドの話によると、平壌市民が見るチャンネルは大きく分けて4つのチャンネルがあるとのこと。朝鮮中央放送、万寿台、教育・文化チャンネル、ローカル放送。万寿台とは平壌の地名で、ここにあの有名な金日成の銅像がある。このチャンネルではドラマや映画などが流れているとのこと。ローカル放送というのが気になるが、これは簡単に言ってしまうと街中のマナー違反行為を晒す番組らしい。ということは平壌には相当数の監視カメラがあり、常に行動をチェックされている訳だ。
日本で言えば、渋谷センター街(今はバスケ通り)の監視カメラで、マナー違反の痰や唾吐き、タバコのポイ捨てなどが顔出しでテレビに晒されていくチャンネルとなる。すごいというか、何と言うか。

ベッドはやや固めだが、個人的にはそれで十分。やわらかすぎると眠りづらい。
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2011年11月24日

入国審査と税関での話 11/14

北朝鮮に向かう飛行機や航空会社はもうわかりましたよね。

さて、これからが本番です。何せ今回の北朝鮮の旅行では税関でカメラや携帯を全て取り上げられるということが発生しました。それが、北朝鮮代表選手に対して日本が行った事への報復とも言われていますが、それが真実かはともかくその入国した税関での様子を記しておきます。少し長いですが。。。

-11/14 午後7時近く

私たちは、順安空港に到着した。着陸して窓から見えた遠くの景色は真っ暗で何も見えない。きっとこの日の最後の便であるこのJS222だけの為に、ターミナルからは強い光が灯されている。
タラップを降りてターミナルまで歩く。息は白くなり、寒い。まず入国審査が行われる。ツアーで入っているので、ツアー会社が申告したビザの写真の順番の通りに並べと命じられる。確かに間違いやすいとは思うが、そこまでする意味がどれだけあるのかわからない。

並んでいるとターミナルがいきなり停電。諸外国でも良くあるから、この程度は予想の範囲内と受け止めていた。とは言え、これにより入国審査も税関も一時ストップ。ただでさえ自分はビザの申請が後の方で、待たされているというのに。。。

自分の列は、やたらと皆書き直させられている。自分は、WEBディレクターと記載して臨んだら、「WEBは何の略ですか」と聞かれ、インターネットを説明する事に。。。まぁ確かに業界用語かも知れないが、共和国内でのネットの普及率などが大体想定できる。それ以外には特に何も聞かれなかった。
北朝鮮に入国する際には、3枚の書類を提出する。入国カード、健康調査票、所持品明細。前者2枚を入国審査時に提出して通過。

自分が最後の方とは言え、かなり多くの人が並ばされている。
今回の北朝鮮の観戦ツアーは、JFAのオフィシャルツアー、セリエネットのツアー、307のツアーとおおまかには3つのツアーがあるが、そのどれもがこの便に乗ってきている。2つある列のどちらにも長蛇の列が出来ている。中々進まないらしく、自分は入国してすぐに地図などを購入していた。

ある人が言う「左の列はカメラが取り上げられるらしいぞ。」と。その人の話によると、税関を抜けた人のジェスチャーで取り上げられたと伝えているらしい。

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2011年11月23日

北京平壌間の話 高麗航空

当然だけど行った事がない人が殆どの国なので、帰国後もやっぱり色んな人に質問される。今回はまず飛行機の話をする。

北京平壌間は、北朝鮮の高麗航空に搭乗した。日本国内に帰ってきて調べると北京から乗ったツポレフTu-134はもう既に退役済となっていて、チャーター便という話だったが、それにしても古い機材をぶつけてくるものだと思った。アウェイ戦というよりも、単なる嫌がらせでしかない。

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往路の北京から乗ったツポレフは狭く、暗く、うるさくというものすごい機体だった。搭乗しているとずっと「キーン」という甲高い音が耳から離れない。本当にこれで平壌にいけるのだろうか。不安になる飛行機だった。機内は夜でもサウナの様な薄暗い明かりしかなく、まさしく闇の世界にこれから入っていくのだと思った。
それと上昇してやや下降して、上昇して下降しての繰り返しというアップアップの状況のフライトは本当に怖い。何分かに一回はフワッと落ちる瞬間があるのだ。

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それと椅子が壊れやすく、前の椅子に力をかけると背もたれが前に倒れていく。だからバッグなどがひっかかると将棋倒しみたいになってしまう。日本人サポーターはその古さに驚きそして呆れていた。北朝鮮はどんな国なんだ。不安になったと同時に、楽しみでもあった。とにかく堕ちません様にとひたすら祈った。

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機内食。メニューは、ご飯、白身魚のあんかけ、ハム、蒸した鶏肉、パンとフルーツだった。ハム、鶏肉、フルーツはいけた。が、パンはなぜかやや苦くて飲み物=ソーダで押し込んだ感じ。
そして、白米が全くダメだった。自分は好き嫌いがない方だと思うし、パックで売っている白米を温めるのが面倒だから冷蔵庫から取り出してそのまま食べた事もある。それでもこの機内食の白米は無理だった。容器を持ったらわかったが、アイスクリームのカップを持ようにものすごく冷たい。そして、味が全く受け付けない。どう表現したらよいかわからないが、カビの様な風味を感じてしまいダメだった。

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ちなみにフライト時の写真撮影は禁止されている為、機内後方に座っている監視員がカメラ撮影を見つけ次第、消させていた。確かに、座席のポケットに入っている冊子には、フライト時には撮影禁止とはあるが、前方まで行って消させるというのが北朝鮮らしい。この対応は、この日本代表戦が行われるからなのだろうか。

平壌の順安空港に着陸した時に、辺りは真っ暗だった。ターミナルに当てられた白い光以外はなく、温度が低いこともありちょっとだけ幻想的な雰囲気に感じた。その先では、魔の税関が口を開いて待っているとも知らず、私たちは悠長なものだった。

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