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2012年10月07日

二本松(霞ヶ城、智恵子生家、鞍石山)行ってきた その1

今回は9月22日、23日と福島に行ってきたので、その観光の模様をお届け。

22日の午前に東京を発って、福島に着いて、東北本線で二本松入り。福島から二本松までは駅が5つなので、思ったよりもすぐに到着。福島駅を出る際に、二本松出身の友人から電話があり「実家の母親にガイドを頼んだから駅で待っている」との事って時点で、そんな展開にビックリ!
二本松の駅に着いて初対面なのに、いくつものガイドブックを抱えて待っていて下さり、本当に申し訳ないというか、ただひたすら感謝感謝感謝。そして車に乗り込み、二本松観光開始。

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最初に行ったのは、二本松歴史資料館。二本松駅から車で約5分。1階は、二本松や二本松近隣出身の芸術家の彫刻や絵画が展示されていた。2階は特別展示なのか、「二本松少年隊」に関する展示と、新島襄の夫人・八重がここ二本松出身という事で特別展示されていた。
少年隊は、会津の白虎隊が有名ではあるが、こちらでも同じように少年達が兵力として新政府軍との戦いに臨み散っていった。その一方で八重の様に戊辰戦争を生き抜き、維新後に活躍する人間もいる。やっぱり感慨深い。

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小一時間歴史資料館を見て回ったら、次はガイドでちらっとみかけた智恵子の生家に行ってみる事に。日本で「智恵子」と言えばあらかた誰か示しがつくというのも珍しい。
歴史資料館からは車で10分程。資料館の前に二本松城の大手門の礎石があったから、車で城内に入っていく感覚である。実際交差点で郭内という地名を見つける事が出来る。その郭内からさらに東に5分程度。

智恵子の生家は「花霞」という日本酒の造り酒屋で、当時の面影をそのまま残して建っている。実は、自分の親の実家も田舎でかなり大きな家で、それに似ていた。梁が太く天井が高く、昔の日本人に合せて1間が低くて、太い黒い色の柱なんかまさしく大黒柱(語源はともかく)って感じで。女中さんの部屋へ続く階段は極端に狭いなど、当時の生活様式が本当によくわかる建物だった。

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が、この実家の長沼家が一家離散、破産になった頃から智恵子の精神状況がより不安定になっていったのは有名な話。元々身体が弱かったが、それに追い打ちを掛けてしまったのだろうか。
智恵子の生家の裏手にある記念館では、彼女が生前に作った切り絵やデッサンなどが展示されていた。

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そして、この記念館の裏にある通称"鞍石山"に登ることに。愛の小径と名付けられた道を、知り合いのお母さんと登る。結構お母さん元気で、「約40年ぶりだわ〜」と言いつつも30代の自分と同じ位のペースで階段を登る。15分ほど歩くと、鞍石山の名前の元になった、鞍掛石に辿り着く。ここから安達太良山が望めるが、山付近は生憎の曇りで雲が山頂付近を覆ってしまっていた。翌日が雨の予報と関係あるかも知れない。

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そんな事を思いながら、展望台に向かう。
posted by おかき at 08:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 国内旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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