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2012年10月27日

二本松(霞ヶ城、智恵子生家、鞍石山)行ってきた その2

(前回まで)二本松出身のOさんのお母さんにガイドをしてもらい、資料館と高村智恵子の生家を回って、その裏にある鞍石山に登った。

展望台から本来なら阿武隈川が見えるはずなのに、バイパスの柱などもありもう見えなくなっていた。お母さんの話は40年前なので、それから日本が発展してきた陰で失われていった自然を現地の方の言葉で実感、再認識する。展望台から道を下る。次はいよいよ二本松城(霞ヶ城)に向かう。

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智恵子の生家から車で10分ほど。で二本松城の正門というべき箕輪門近くまでやってきた。もう少し先にも駐車場があるらしいが、やはり下から全部行きたい。その箕輪門の手前には、戊辰戦争で散った二本松少年隊群像がある。白虎隊は元々そう組織されていたが、二本松の場合は隊名がなく後で付けられたもの。それだけ軍として育成されていない少年達が戦いに急に駆り出されてしまったのだろう。

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箕輪門をくぐる。決して二本松城は大きな城ではない。箕輪門は、門を造る木材を箕輪村から切り出したことに由来する。福島って木材も豊富な感じがする。

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霞ヶ城公園として整備された中に城郭の中心がわずかに残るにすぎない。それでも二本松城が有名なのは、城跡が古く畠山氏の時代に遡ることと戊辰戦争における戦いの中心の一つになったことだろうか。ただ、殆ど破却されてしまっているのはもったいないなぁ。

登城した時期はちょうど菊人形の準備で大忙し。10月は菊人形と提灯まつりで二本松は年一番の賑わいになるという。個人的には、自分は臆病なので人形が怖いので多分菊人形はねぇ。小さい頃にホラー映画とかの記憶が残りすぎているんだろうか。

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その二の丸を抜けて本丸をぐるっと回るようにして、搦手門跡までやってきた。搦手門とは裏手の事。私はひねくれものなので、大手門より搦手門の方が好きだったりする。この近くから安達太良山を見たが、やはり雲がかかっていた。明日はやっぱり雨だろう。山の天気は嘘をつかない。

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で、この先にある天守に登ろうとしたのだが、震災で城壁が崩れて工事中の為立ち入り禁止になってしまっていた。。。なくなく断念して戻ってきた。二本松城の天守の城壁は、様々な武将が様々な時代で改築を行った為それぞれ異なった作り方をしているので、それを見たかったのだが。。。「また来て下さい。」と言われたので、また来よう。

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そして、その晩は浪江焼きそばを食べ、Oさんの実家近くの寿司屋で寿司をごちそうになりましたとさ。晩ご飯をおごってもらったからではないが、人の温かさに久々に触れたなぁ。いやいや、横浜のみなさんも十分温かいですよ(笑)

おしまい
posted by おかき at 18:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 国内旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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